第6章 反抗
A resistance
「ベルクートじゃ、世界最強のワシはベルクートじゃ!」
その声がFに巨大なイヌワシの幻影を見せた。薄暗い蜘蛛の巣が張り巡らされた不気味な部屋で。
夢か、幻か。
「ドラケンが帰ってきた、二年ぶりにあの鷲が帰ってきたか」
コウノトリの爺さんがなにやら話している声が幻聴のように聞こえてくる。いや、目を開けてみようとFが意識を取り戻したとき、窓越しでコウノトリの爺さんが、大きなハシジロアビと話をしている姿が見えた。
「ドラケンが帰ってきたらまた鷲戦士たちがあちこちから集まり出すじゃろうのう」
アビはコウノトリの爺さんと仲良く捕れた魚を分けて食っていた。近くに河があるらしい。
「おい、あの鷹は何じゃ!」
アビが腰を抜かした。
「おうおう心配するな、あいつは儂らを食ったりせんて。長旅で疲れておるんじゃろうて。ぐっすり眠っておったわい。まあ昨日は夜更かししておったからのう。あいつとは昨日知り合ったばかりなんじゃ。若いのになかなか律儀な奴じゃ。ちょっと無口で無愛想じゃが、可愛い奴じゃ」
Fが二人の方を見て羽ばたいた瞬間
「ギャー、」
アビは窓縁からこけ落ちた。
「心配すんなて、こいつは昨日一晩儂と同じ屋根の下で寝たんじゃ、のうFや。おは・よ・う」
と言っているコウノトリの爺さんも伺い見るようにFの目を覗き込む。やはり震えてしまう。アビが蚊が鳴くような小声で
「何か食わせたらいいんじゃないか? 腹一杯になれば俺たちを襲いはせんだろ」
「そ、そうじゃの」
そして、
「おい、長旅で腹減っておらぬか? 魚でも食わぬか」
「おい爺さん、最強のベルクートってのは何だ? 何か話してたな。そいつは強いのか」
Fは腹も減っていないのだろうと思ったコウノトリの爺さんはホッと一息ついて
「強いなんてもんじゃなか、オウギワシより強かとぞお前。あいつは化け物じゃ」
「そいつと戦いたい」
「やめとけちゃあ、あいつは世界を旅して何羽ものオウギワシを血祭りに上げたバカでかいベルクートじゃぞ。いいか、F。こっちゃこい」
コウノトリの爺さんは、震えるアビを尻目にタカと対等に話している自分が心地よくなって、さらにしゃんと背筋を伸ばし、部屋の奥に入った。 アビは興味津々怖いもの見たさでドタドタと二人のあとをついて行く。
「昨日は話さんかったが、一番強いワシはドラケンじゃ。あいつに叶う奴が居るわけがない。とにかくでかいんじゃ。これがあいつの羽じゃ」
コウノトリの爺さんは引き出しをクチバシで器用にあけ、中から大きな羽を出して見せた。
「ドラケンの抜け落ちた羽じゃ。ベルクートには個体差があってな。大きなものは本当に大きい。そしてドラケンはお前の三倍の体重はあるじゃろうて。当然爪も大きい。あいつに捕まえられたら生きて帰れるものはおらぬ。何せヒグマをも倒したほどの男じゃぞ」
「ヒグマ…」
「ヒグマの目を潰し、頭を潰し、三日間に渡る攻撃の末ついには殺してしまった。恐ろしいだがや!」
その大声にアビはひっくり返り、Fの目は光った。
ヨーロッパではイヌワシこそ最強の鷲、権力の証として家紋や軍旗に使われ、古き時代から長きに渡り、専制と独裁の象徴とされた。イヌワシがヨーロッパ最強のワシであることも重なり、その歴史的文化は動物たちにも以心伝心していた。
「最強のベルクートは、允だ」
「なに、允じゃと? 允を知っておるのかお前」
「允が一番強い」
「友達か。悪いがドラケンの敵ではない。二羽ともお前が知るとおり鷲戦士じゃが、一度も戦うことはなかった。允はユーラシア大陸、ドラケンは遙か南米を旅した男だ。その時点で力が違うと思わぬか」
「力だけじゃねえよ、あいつの強さは……」
Fの脳裏に、允のハンターとの死闘が燃え上がった。
その日、薄暗いあばら屋の中をうろうろしては、あの百科事典や地図を眺め、うろちょろするネズミに目もくれず、また眠りに就く。
そしてその次の日の早朝、うとうとしかけたFが目を覚ますと、既にコウノトリのじいさんは居なかった。
「年寄りは朝が早いぜ」
Fは、まだ薄暗い外へ出ると辺りをにらむ。
「有り難うよ。じいさん」
こうしてまたFはその家をあとにし、遥かなピレネーを越えに行く。高原には見たこともない花が咲き、緑はいつしか秋の面影を漂わしていた。Fは木の枝にとまって一休みする。
見ると、あのコウノトリの爺さんがよたよた歩きながら野犬から逃げていた。猟犬が飼い主からはぐれ野生化したものらしい。立派な体格のイングリッシュポインターだ。横を友達のアビもよたくらと反対方向へ逃げているではないか。
「助けてくれーっ!儂ゃまだ死にたくないんじゃーっ!」
Fは思わず吹きだした。
(いくつになっても命は惜しいいか。まあいい、世話になったからな。腹も減ったし)
Fは低空飛行で野犬に急接近すると、ぶつかるように首根っこを掴み数メートル引きずった。その握力にすでに首はボロボロになっていた。
「ヒエーッ!」
コウノトリの爺さんは石につまずいて倒れ、そのまま羽を頭にかぶり丸くうずくまったまま震えていた。
しかしいつまでたっても野犬が来ない。
おや、変だと羽の下から顔を出せばFが野犬を食べている。
「ひえーっ、お前……Fやないか。どげやってこげな凶暴な野犬をとったとじゃ! まま、まあ、ありがとうのう、おかげで命拾いした」
「腹が減ってただけだよ」
コウノトリの爺さんはFの破壊力が信じられず、痩せた顔から目を飛び出しそうなほどに丸くむき出し、そーっと獲物の状態を見る。
首は半分以上ちぎれかかり、脊髄のあたりにもひどい傷跡が見られる。なぜ彼が強い鷹になりたくて、旅をしているのか分かった。
「お、おまえ、ありがとうのう。最近の若いやつは自分勝手で薄情なヤツばかりと思っていたが、おまえな違うごたるのう」
爺さんは泣き出した。
Fは構わずに獲物を食い続ける。
「おまえ、ここで暮らさんか。獲物もいっぱいおるぞ。お前とはなにやら友達になりたくての。わしを食っても腹壊しそうなんじゃろ。年をとると寂しくての」
「旅の途中だ。ひとつの場所にとどまる気はない」
Fは肉のすじを引っ張りながら引きちぎるとそれを一気にのみ込み、また肉をついばむ。
「じゃろうのう、若いやつは旅がしたかろう、すまんかった」
向こうの茂みには、エナガの群れがチリリチリリ、ジュリジュリと鳴いている。
「見ろ、エナガじゃ。エナガは寂しがりな小鳥で、群れないと生きていけない。他の種族の小鳥とも群れるらしい。群れなければ生きていけない種族もおるのじゃ。なんとなく今は、その気持ちが分かる。若いときはひとりで生きていけると思っておったが、年をとると孤独に耐えきれなくなる。まあ、今日はありがとうのう。気をつけて旅をせいや」
コウノトリのじいさんはよたよたと草原の方へ歩いていく。
「達者でな、じいさん」
「おう、有り難うのう、そうじゃそうじゃ、西へ向かうのならドラケンと戦うのだけはやめておけ。お前はまだ若すぎる。まあ、あいつと戦って世界の広さを知るのもお前の今後の為かもしれんがのう。しかし死んだら何にもならんけのう」
Fはだれにも負けないという、自信に満ちた視線を返した。
「ホントじゃぞ、自分が一番と思うなよ。いつかはお前も負けるんじゃ」
年寄り臭いお説教を最後に再び彼は草原の方へ向かうが、またゆっくり振り返り、目を潤ませて叫ぶ。
「達者でのーう、若鷹よ、人間にはくれぐれも気を付けるんじゃぞー」
あんな爺さんでも、もう二度と会うこともないと思うと、妙に名残惜しく感じさせる。
Fは獲物を食い終わると、爺さんの見送る中、森へと入っていく。
群れて鳴いていたエナガたちが静まり返り、Fの通り過ぎるのを待つ。 Fは目もくれずに森の奥へと入っていく。
この辺りの森林は、アフリカのジャングルに比べ、木々の間隔が狭い。 木の幹の色も、灰色ではなく黒っぽい。
飛ぶのにもとても窮屈だ。そして大型の獲物もいない。森の奥へと進み、大きなもみの木に止まる。さっき犬を食った。あと二日は食べなくても大丈夫だろう。今日はこの木で一夜を過ごすか。そのとき、一羽だけ、まったく離れた場所にいたエナガがFの目にとまった。
コウノトリの爺さんの言葉を思い出す。
(エナガはひとりでは生きていけない生き物なんじゃ)
Fはそのエナガが、なぜたったひとりでいるのか気になった。最初から単独で生活する動物なら、なにも思わない。コウノトリのじいさんが、エナガは群れないと生きていけない、と言っていた言葉が、Fの頭のなかで何度も繰り返される。
自分にはとても理解できないが、旅という孤独に浸っている彼にはそのさびしさはわかった。自分と同じく、変わりものなのか。孤独でなければ追えない夢もある。孤独のなかに孤独との戦いが生まれる。強い男と戦い、どこまでも力を追求する。その道を進めば進むほど、彼はどんどん孤独になっていった。あのエナガもなにかわけがあって一人でいるのか。自分と同じくなにかめざすものがあるのか。
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