第6章 反抗
A resistance
「おい、エナガ。なぜ群れに戻らない?」
その声にエナガはびっくりして木の穴に隠れる。
「大丈夫だ、おまえを食ったりしない。さっき野犬を食ったばかりだ。それにおまえは小さすぎて腹の足しにもならない」
Fはニヒルに笑った。エナガとはどのぐらいさびしがりなのだろうか。おそらくなにか理由があって群れから外れたのだろうが、エナガの本能ともいえるさびしがりという性質は、そう簡単に克服できるものではない。しかし自分は天敵でもある。やはり穴からは出てこないだろうとFが思ったそのとき、
「ねえ、本当に私を食べない?」
なんと、エナガが天敵のタカの前に出てきたではないか。Fはその白い姿に弟を思い出し、言葉が詰まった。
「あんたも、さびしいの?」
「……まさか。だがおまえたちは群れないと生きていけないんだろう、なぜここにいる。それが気になった」
「みんなが信じられなくなって。でも、自分も信じられないの……私の話を聞いてくれる?」
「いいぜ」
「私の名前はジュリ」
「おれはFだ」
エナガの黒く澄んだつぶらな目はFにとって、異次元の生き物のような生命の純粋さを感じさせる。
「私も前はみんなと一緒に暮らしていた。エサを分けあったり、だれかが木の実を見つけたら飛んでいってみんなに教えるの。困ったときはお互いに助け合って、さみしいときやつらいときはなぐさめ合うの。これでも、子育ての手伝いをしたこともあるのよ。私たちは、ヒナがかえらなかったカップルはみんな子育ての手伝いをして助け合うの。毎日がとても楽しかった。私のなかではいつか、みんな友だちだと思うようになって、ウサギやリスとも話をしたわ。みんなからはちょっと変わってるって言われたけど。……そんなある日、ハンターが来たの。猟犬を連れて馬に乗って銃を持った人が、どんどん仲間の森の動物たちを撃っていったわ」
「ほう」
「私は森のヤマネや小鳥たちやウサギや犬たちにも、ハンターが来ているから気をつけてって言って回ったの。そして、木に止まっているタカに、ハンターが狙いをつけたの。わたし……」
エナガの大きな黒い瞳が細くなった。
「どうした……」
「鳴いて教えてあげたの。危ないって」
Fは、なぜ彼女が追放されたのかわかった。
「みんなに怒られた。いっぱいつっつかれた。タカを助けたおまえは、仲間じゃないって」
ジュリの目からひとしずくの涙が落ちる。
「リスや小鳥たちやウサギにも、そう言われた。だけど、敵っていったいなに? 本当の敵っていうのは、むやみに銃を撃って意味もなく動物たちを殺す人間じゃない。森に生きる物たちはみんな仲間よ」
Fは初めて小鳥と話し、食物連鎖のなかで、食べられる立場にあるものの心を聞いた。
「だがおまえの行動は、たしかにエナガたちにとっては裏切りだ。助けたそのタカが、またいつかおまえたちを食いに来る、だろう?」
ジュリはうつむいた。
「でも……あのときは、そうせずにいられなかった……わたしは、変わってるのよ」
「変わってる? まあたしかにな。おまえは逆に、自分たちのことしか考えないエナガたちに、疑問を抱いたってわけだ。みんな同じ仲間だって、本当はそう言いたかったんだろう」
群れずにいつも孤独なFは、概念や固定観念に縛られずに心を見抜く。ほかの動物たちに話しても、おまえはバカかの一言で片付けられるだろう。
だが、Fは違った。
「F……」
同じ孤独な立場ではあるが、明らかに違う二羽。自然淘汰という言葉がある。つまり、生き残るための条件を兼ね備えたものが、その条件を満たさないものを蹴落として生き残り、そうでないものはふるいにかけられて捨てられるのだ。生存も進化も、自然淘汰のなかで生まれる。
エナガは群れることで生き残るための有利な条件を得て、タカもまたつがいを組んで一つの森に縄張りを持って住むことで、その生存を確実なものにする。
天敵のタカを助けた時点で、ジュリは自然淘汰から外れ、Fは逆に自ら自然淘汰に逆らって戦いの道を生きているのだ。
「やっぱりだれもいないとさびしい。死にそうなくらい。お願い、私と友だちになって」
「おれは旅の途中だ」
「なぜあなたは、旅をするの?」
「世界一強い男になるためだ」
「ふーん。私もついていっていい?」
「いいぜ。ただ、おれとおまえは目的が違う。おまえは、自分の本当の友だちを探す旅にするんだ。そして本当の友だちを見つけたら、そこで暮らせ」
自分の心が、キャッチされている。Fの目が、ジュリには正義と悪を乗り越えたもう一つの神の目に見えた。
不思議なタカ、Fにジュリは死の淵からすくい上げられた気がした。このまま孤独でいるよりは、命を捨てて目の前のタカと旅をしよう。そう決意したとき、沸々と勇気が湧いてきた。
「わたし、なんだか吹っ切れたわ。仲間がいるって思ったら」
Fはジュリを見つめて思う。
(なんでこんなに似てるんだ……おれだけが大人になったんだな)
それから二羽の旅になった。飛ぶスピードが全然違う。しかしジュリは必死についてきた。Fは狩りをしながら旅をしなければならない。だがエナガの食べ物はどこにでもある。Fの狩りほど手間はとらない。そのあいだに必死で飛んで差を詰める。
鳥はもともと自分がどの方向へ向かっているか、本能的にわかるという。二羽はいつも待ち合わせの場所を決め、その方角へ飛んだ。そして、ときには夕暮れ時に出くわすこともあった。ジュリは生きるために必死で虫や木の実を食べた。
Fは彼女が懸命に生きるために戦っているさまを静かに見ていた。群れで生活するということは、それだけ有利でもある。これから先も、本当に彼女はひとりで生きていけるだろうか。しかしFは彼女の餌の確保を助けようとは一切せず黙々と、急浮上、急降下、急旋回を繰り返す。そして、ときには枝を蹴り、岩を蹴る。それは今まで彼女が見たこともないほどのすさまじいスピードだ。すべては戦うための訓練である。
ジュリは、ときにはなにも話さないまま眠るFを、なにか話しかけたそうな目で見つめるが、なにも言えず、うつむく。本当の仲間なんているのだろうか。もしかしたら目の前にいるこのタカこそ本当の仲間なのかもしれない。
そう考えると、とにかく彼と話がしたくなった。そして勇気を振り絞って、
「あなたは、どうして独りで旅をしているの」
「強い男と戦うためだ」
「そうよね、さっきやっていたのは戦うための訓練?」
「そうだ、もう寝ろ」
Fは木に止まったまま、静かに眠った。
そしてまた次の日も、Fは狩りに行ってしまった。ジュリは寂しさをまぎらわすべく餌を探して森をさまよう。彼女の胸の中に、仲間との日々が駆け巡る。確かに楽しかった、あの事件がある前までは。ただ何かが違う。あの自分に向けられた冷たい目を、どうしても心の奥で拒絶してしまう。
(そうよ、私は本当の仲間を見つける。見つけるんだ!)
ジュリが飛ぶ真昼の大空は、止まっているように静かに時を刻んでいた。一人で生きることはドキドキすることも多いがその分心を強くする。そんな勇気が少しずつ、Fと暮らす中で芽生え始めていた。
思春期の、影響を受けやすい心は、今からその生きるべき道を見つけ日々成長し、進化していく。今の彼女は、少なくとも昔いた群れの百羽のエナガの誰よりも、一人で生き抜く強さを持っているだろう。
そんなショッキングな三日間を乗り越えた彼女に、森の奥から黒い影が襲ってくる。ハシブトガラスだ。くちばしが大きく小動物などは突き殺してしまう、どん欲なハンターだ。
ジュリは茂みに逃げこむ。
カラスはやむなく茂みに降りると、歩きながらジュリを探す。ジュリは小枝の隙間からカラスを覗いた。そのとき大きなくちばしが突っ込んでくる。ジュリは首を縮ませてよけた。
カラスは執念深く回りを歩きながら、またくちばしを突く。摘んで引っ張り出す作戦だ。ジュリは小さい体をますます小さくして木々の奥に潜り込んだ。
カラスは頭を突っ込んでジュリを捕まえようとするが枝が邪魔をして思うようにくちばしを動かせない。今度はジュリの反撃が来た。その小さいくちばしで、目をつつく。
カラスはびっくりして首を茂みから抜き出し、首を激しく振る。
今度は茂みの回りをうろうろと歩きながら彼女が出てくるのを待ち伏せする作戦だ。
ジュリはじっとカラスが諦めて去るのを待った。横をダンゴムシが這ってきた。ジュリはそれを素早く突いて丸のみにする。
ここにいれば虫も這ってくるし、しばらく待ってみるか。
ジュリはカラスと我慢比べをすることにした。カラスはいつまでもそこに立ったままじっとジュリを待ち伏せしていた。
静かな森には自分とこのカラスしかいないのかと思うほどで、野良犬でも来てくれればこのカラスも逃げ出そうものを、こういう時に限って生きものの匂いすらしない。
(いいわ、待つしかないんだ。あいつが諦めるまで。この茂みにいれば、あいつになにができるの。この勝負、私の勝ちよ!)
彼女は自分にそう言い聞かせ、自分を勇気づけていた。恐怖に耐えながら長い長い時間が過ぎた。やがて、太陽が西の空に傾き始めた頃。
ジュリはカラスを追い払う野良犬の出現を願っていたのに現れたのは自分を狙って木を伝って降りてくるヘビだった。
(ウソ、ど、どうしよう!)
ヘビはどんどん降りてくる。あと少しでカラスもあきらめようかという時になって現れたヘビにジュリは地獄の底に突き落とされ、金縛りになって動けなくなる。
(と、飛ばなきゃ!)
頭では分かっていてもそれができない。彼女のような小鳥たちが、恐怖のあまりによくおちいる現象だ。こうなると、もう飛べる小鳥はいない。まさに、蛇に睨まれた小鳥。
しかしその時、彼女の心の奥にひとりで生きていくという執念が燃え上がった。
(何も抵抗せずに食べられちゃダメ、飛ぶのよ!)
ジュリは素早く飛びたった。跳びかかる蛇の口がその尾羽をくわえたが、尾羽は引きちぎれ、ジュリは大空高く舞い上がった。真っ赤な夕陽とともに燃える心。もう彼女は、金縛りになってただ食べられるだけの普通の小鳥ではない。
地面にはいつくばって惨めに口を開けて大空をにらむヘビをジュリは見下ろした。しかし、もう一羽の敵、カラスが素早く近づき、その羽ばたきの風圧がジュリの小さな身体に吹き付ける。
真っ黒な羽が視界を封じ、大きなくちばしがジュリを襲う。
|