第二章 ベルクート允
Berkut Joe
こうして二週間が過ぎ、狩りをする日がやってきた。
祖父の腕には允、ムラトベックの腕にはカクシャールが留まったまま、獲物を求めて山に向かう。
標高四千メートル近いこの付近は酸素も薄く体を温めるために、片手に持ったクムスがあっと言う間になくなる。
「今日は寒いが天気がいい、動物たちも出てきそうだ」
ムラトベックは胸を躍らせながら、まだまだ雪が残っている五月の天山山脈をかみしめるように歩いた。二羽の若いイヌワシを連れての狩りは、滅多に出来るものではない。獲物を求めて、ただ歩き続ける。日は天高く上り、少しずつ西に傾いていることに二人は気づく。実際に獲物にありつくということはなかなかない。時々小鳥を見かけるがイヌワシを使ってそんな獲物を取るわけにもいかない。山の天気は変わりやすく空を雲が覆ったかと思うと、また、日が差し込み、そしてまた雲が現れる。
「お前が狩りで使えるようになるまであと一年はかかるな。下を見ろ、丁度いい獲物が来たぜ」
カクシャールが雪面を見下ろすとそこには大きなキツネがいた。
「こんなのは朝飯前だが、ちっと見てろ」
允とのケンカを相手にされないまま、飛翔技術の違いを見せつけられ、もみ消されたカクシャールは、やむなく狩りを見ることにした。イヌワシの急降下は大型猛禽ではトップクラスのスピードと破壊力がある。彼はあっと言う間に丸で上空から獲物に石を投げているかのように見事に命中した。思わずカクシャールは彼の後を追いかけた。キツネはすでにショック状態に落ちていた。
それまで、野生で生きていたカクシャールはその狩りが、そして允の力量がいかにすごいものかすぐに分かった。自分より数倍力が上だ。そのキツネは大きく、自分なら獲物としては狙わない。
「俺は人間と暮らすことで、野生のワシ以上の力と技術を身に付けることが出来た。あいつらには感謝している。こんなもんで驚くなよ。俺がお前に見せたいのはオオカミの狩りだ」
そしてムラトベックが来ると允は大空に舞い上がった。キツネはその日の食卓にあがる。ムラトベックは、はぎ取った毛皮を丁寧に伸ばしながらつぶやく。
「こいつはかなりいい値で売れそうだ。いい毛皮になる」
「允は何かを伝えたかったのかも知れんな」
クムスを飲み、冷えたラグマン(シルクロード風うどん)を啜りながらふと呟いた祖父に、ムラトベックは力強くうなずいた。
カクシャールはこの日を境に全く別のワシのように人間を家来として受け入れた。ムラトベックは昨日のことが何もなかったように接するが胸中は穏やかでない。何せ昨日の恐怖が残っている。しかしカクシャールが指示した通りに動くのを見ているうちに彼への信頼を取り戻し始める。
允は普通のイヌワシと違い、まるで狩りを楽しむかのように獲物を見つけては狩った。その獲物も様々で、単独ではウサギ、キツネやヤマイヌ、中大型の鳥。
そしてまた、一羽のカラスが目に止まった。イヌワシは鳥を狙うときは、より高く舞い上がり、急降下によって捕まえる。水平飛行においては、スピードもカラスより早いが際だって早いわけではない。急降下で一気が得意技なのだ。しかしこの場合、相手も高く舞い上がると話は違う。
ワシに狙われないようにするために経験豊富な大人の鳥はワシと同じように上昇する。ハトの群れがハヤブサに遭ったときなども集団で上昇するのと同じ防衛法だ。
このカラスも賢く、上昇し始めた。
允が更に上昇するとカラスも負けずにどんどん上昇する。そして允はあきらめた。こういうこともよくあるのだ。さすがの允も百発百中とは行かなかった。
夜になるといつも允がカクシャールの小屋の柵越しにいて何かを話しかけているように二人には見えた。不思議なことがあるものだと二人は感激した。まるで兄弟のように二羽は仲がいいのだと。
「允ほど頭のいいワシはいないよ。きっとあいつを、弟のように思っているんだ」
家の窓から、二人は小屋の方向を夜がふけるまで見つめながら話していた。
そして狩りシーズンは真っ盛りとなりバザルはダムディンスルンに連れられ次々と大物を狩り続ける。キツネやヤギからアカオオカミまで、獲物の質、量共に允より多い。バザルの名声は允以上と、鷹匠達はその技量を絶賛した。
そんなある、真昼の静かな高原。、山羊飼いが逃げてくる。
「助けてくれ!」
その季節村では赤目と呼ばれる一匹オオカミが頻繁に出没してはヤギや、時には人をも襲っていた。脳に銃弾を受けたまま生き延びたため、より凶暴化し群れから追い出されたのだ。
羊飼いを守るため、ダムディンスルンはバザルを仕掛けた。バザルの爪が赤目を引き裂いた。そしてダムディンスルンが銃を取り狙いを定める。しかしバザルと格闘しているため威嚇射撃しかできない。赤目がバザルの脚に噛みついた。激しく暴れる両者。バザルの羽もどこも傷つけたくない。普通のオオカミなら銃声にすぐ逃げるが赤目は狂っているのだ。
「バザル!バザル!」
ダムディンスルンはパニックに陥り、赤目に向かって走り出した。バザルが今度は胸に噛みつかれた。
「バザルを離せ!」
ダムディンスルンが至近距離に来て銃を振り回すと、赤目は死にかけたバザルを吐き捨てダムディンスルンに襲い掛かる。
そして翌日、ダムディンスルンとバザルは寄り添うように死んでいるところを村人に発見された。
「ダムディンスルンは最高の鷹匠だよ。銃で撃てば、自分は助かったろうに」
「そこまでしても、バザルを守りたかったんじゃ。赤目には気をつけろ。あいつは大きい、そして凶暴だ」
間違ってバザルを撃ったら……その気持ちはベックにも痛いほど分かる。
ムラトベックとカリモフは、お決まりのラグマンをすすった。
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