第二章 ベルクート允
Berkut Joe
そして血気盛んムラトベックは、昼間はキルギス伝統競技コクボルをやって楽しむこともあった。コクボルとは、首と足首を切り落としたウラク(山羊)をボールに見立て奪い合い、自陣のゴール「タイカザン」へ投げ入れる『騎馬戦ラグビー』だ。
ウラクは二〇〜三〇sにもなり、持ち上げて馬上で奪い合うのはそう簡単にはいかず、かなりの腕力と乗馬の技量が必要とされる。競技に使われる山羊は大きな毛玉に見え、殺した後の血生臭い雰囲気はない。コクボルとは蒼き狼を意味する。
「ちくしょう!またベックに取られた!」
相手が追いかけるのを振り切り突き飛ばしてムラトベックはゴールインする。常にワシといる緊張を安らげたいとき、彼はよくこの競技に参加した。そしてまたカクシャールと二人だけの空間へと彼は入っていく。
明かりに慣れだすと、今度は夜中の散歩。これも少しずつ、夕暮れから昼へと明るくしていく訳だ。
イヌワシは4kgを超え、ゆらさないように歩くのは大変だ。ちなみにイヌワシ最強種ベルクートのカクシャールは5kg。この大きさになると普段は肩に止まらせることが多くなる。鳥の体重は実際に見た目よりはかなり軽い。骨の空洞や羽毛で膨らんで見えることがその身体をより大きく見せるわけだ。
ムラトベックの背中には長さ13cmの傷がある。これは彼がまだ鷹匠を始めて間もないころイヌワシの訓練中にシカの頭の剥製を狙わせたつもりが、イヌワシは金色の目を光らせ鹿にではなく自分を標的に向かってきた。そして一生消えることのない勲章をつけたのである。大きなワシやタカになると、こうして人間に向かってくることも珍しくない。
そして更に一週間が過ぎた。もう、昼の散歩にも動じない。カクシャールを小屋に入れると、ムラトベックは止まり木の允に語りかけ笑った。
「明日はバザルとの対決だな、允」
夕陽の高原は允の瞳の中に熱く燃える。
季節は鷹狩りのシーズンに差し掛かっていた。
村ではイヌワシを使った狩りが盛んに行われるようになりだし、何人もの鷹匠がイヌワシを空に飛ばす。
そしてこの日はキルギスから少し離れたモンゴルからも参戦があった。モンゴルでは、イヌワシを使っての鷹狩りの大会がある。より大きな獲物をより多く、より早く取るなどが審査基準になる。そしてこの年のモンゴルチャンピオンがバザル(モンゴル語で剣)という五歳のイヌワシだ。鷹匠の名はダムディンスルン。ムラトベックとは古き友人である。
村人達の焦点は。允とバザルの相羽合わせ(複数の鷹を同時に放すこと。狭義には同じ獲物に、広義には群鳥対象も含む)だ。相手もベルクート、モンゴルチャンピオンだけあって体も大きく羽音も力強い。
「バザル、行け!」
「允、頼むぞ」
二羽のイヌワシが蒼き大空に舞い上がり大きな風になった。
ダムディンスルンが自信を除かせニヤリと笑った。
「ベック、相手が悪かったな。バザルはモンゴル史上最強のイヌワシだ。俺がそこまで鍛え上げた。野生のイヌワシなんて比較にならない。なんせ30kgのオオカミも一羽で倒したんだからな」
ムラトベックは黙って允の姿を追い続けた。バザルは鋭敏に獲物に反射する。そして二羽が山野をかける大きなキツネに同時に襲いかかった。
「允!」
先に捕まえたのはバザルだった。バザルは猛々しく鳴き声を上げ、允にも襲い掛かりそうなほどの殺気を漂わせていた。
華やかな祭典が終わった。バザルはキルギスでも最強の称号を人間達から与えられた。そしてカクシャールもまた狩りに向けての訓練は続く。
狩りのシーズンになるとタカは減量をさせられる。
絶食と肉を与える日を繰り返してギリギリの飢餓状態を作るのだ。しかし餓死させてはならない。鷹は死の直前まで毅然としているので、手遅れにもなりかねないように、鷹匠は常に鷹の体調に最も神経を使わねばならない。
次に、鷹を呼び戻す訓練は、最初は足に5メートルくらいのヒモを結びつけて、外の止まり木に止め、近くでえさを見せながら呼ぶ。飛びたって腕に戻るようになったら、もっと長いヒモをつけて次第に遠ざかり、最後にはヒモなしでも必ず鷹匠のもとに戻るように訓練する。鷹はヒモをはずしてしまえば一羽の自由な鳥。ここでひとつでも失敗すれば、育てあげた鷹は永久に戻ってこない。「呼び戻し」は鷹匠技術のなかでも極めて重要だ。
「おとなしく言うことを聞いているか」
允の言葉に若いイヌワシはギロリと睨み付ける。
「おとなしくしてやっているのさ。まあ、見ていろ」
「ほう、そりゃあ楽しみだな」
「おまえ、バザルとの勝負に負けたらしいな。ザマあないぜ。先に獲物を取られるとはな」
「ケッ、誰に聞いた」
允は苦笑いした。
「クマタカが言っていたぜ」
ムラトベックは数種の鷹を使いこなす。小屋での話し声がカクシャールの耳に入ったのだ。
「余計なこと聞かないで早く寝ろ」
いつものように柵越しに話していた允は、ちょっと悔しそうに口を歪め、また自分の木に留まる。カクシャールはその仕草がやたら可笑しかった。
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