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Audiokillar ◆目次◆ | |||||||
第二部 カストラート 〜角魔大鷹編 | |||||||
第十章 アドニス神話 カルリーネの微笑みが夢の中に絶えず現れては消える。そんな夜が白み始め、白い光が瞳に差し込んだ。 ベッドから起きた瞬間、俺はめまいがした。 アドニス神話の捻れたストーリーは、いつしか俺の心にまでもその色を浸透させ始めていた。セリフの読み上げや表現力、演技力まで持たなければならないオペラ。 どんなに納得できない脚本でも完璧に感情移入して演じ切るのもオペラだ。 美しきカルリーネにさらわれそうな心と、大人の女性にまだ勝てない自分が悔しい。 何が勝てないのか……分からない。 いや分かってる。 声量、表現力、演技力、経済力、経験……数えたらきりがない。 早く大人になりたい。 こんな風に心が揺れ動くのも、俺がまだ子供だからなのか……。 「おい、アドニス起きろ」 ドアが張り飛ばされ、ガブリエルが飛び込んできた。 「すまねえ」 俺は時計を見てあわてて飛び起きた。 「こんな日に寝坊するなんて、おまえホントに図太い神経してるよ」 「ガブリエル、借りにしておくよ」 それからの時間は、かけ抜けるように過ぎていった。 歯を磨く。食堂で見慣れた顔にあいさつする。 パンを詰め込む。 バスに乗り込む。 ウィーン国立劇場へ向かう窓の景色は跳ぶように駆け抜け、舞台の本番に向けて鼓動はロングスパートして早くなっていく。 コーラスはみんなで歌う。しかしオペラは、自分にスポットライトが向きソロで歌う。 演技もある。プレッシャーが違う。 ついにバスは、ウィーン国立歌劇場についた。 楽屋に飛び込んですぐにカルリーネと視線が重なった。 サファイアの瞳も、もう出陣前の戦士になっている。それがやけに嬉しかった。俺だけでなく、みんな、大イベントを前に緊張している。男性オペラ歌手は笑顔で話しかけてくれた。いい大人が神様の格好をしているのが、妙におかしかった。 俺はかかとが10センチ以上も高いロングブーツを履く。 アフロディーテとの身長の差を埋めるためだ。この靴での立ち回りも十分にやった。 舞台裏で開幕の時間を待つ。 そしてついに、舞台の幕は開いた。 アドニスは、美と愛の女神アプロディテに愛された美少年。 フェニキアの王キニュラスとその王女ミュラの息子だ。 キニュラス一族は、女神アプロディテを信仰していた。 王女ミュラは絶世の美女でソプラノ歌手が演じた。 「ミュラはアプロディテより美しい」 と一族の一人が言ってしまったことから、これを聞いたアプロディテは激怒する。 カルリーネは俺でさえビビる表現力で怒りを歌い上げた。 ミュラが父キニュラスに恋するように仕向けるアプロディテ。 正しいとか間違いとかではなく、くだらなくていい。 そのアプロディテの心を見事に表現する演技力は大観衆を魅了した。 父親を愛したミュラは、自分の乳母に気持ちを打ち明けた。 彼女を哀れんだ乳母は、祭りの夜に二人を引き合わせた。顔を隠した女性が、まさか自分の娘だとは知らないキニュラスはミュラと一夜を過ごす。しかし、その後、明かりの下で彼女の顔を見たキニュラスは、それがミュラだと知って激怒する。 「私を騙したのか……」 父はミュラを殺そうとしたが危機を脱出すると、アラビアまで逃げていった。 彼女を哀れに思った神々は、ミュラをミルラ(没薬)の木に変えた。 その木に猪がぶつかり、木は裂けてアドニスが生まれた。 そのアドニスに、アプロディテが恋をした。 やがてアプロディテは赤ん坊のアドニスを箱の中に入れると、冥府の王ハデスの妻、ペルセポネに預けた。アプロディテはペルセポネに、けっして箱の中を見るなと注意する。 しかし、ペルセポネは好奇心に負け、箱を開けてしまった。 すると、その中には美しい男の赤ん坊のアドニスがいた。 彼を見たペルセポネも、アドニスに恋してしまう。 こうして、アドニスはしばらくペルセポネが養育することになった。 アドニスが少年に成長したところから、ついに俺の出番が来た。 歌が始る。練習の成果、俺は黒い客席目がけて歌い放つ。この日が最後だと思うと開き直れた。 狩り好きの勇ましさを剣の舞いで表現し、ひとときの休憩。 ここでオンブラ・マイ・フの歌詞はマッチした。 そしてアプロディテが迎えにやって来る。 ペルセポネはアルト歌手が演じた。アドニスを渡したくないと二人の女神は争い、互いに短剣を振るい交互に歌う。ついに天界の裁判所に審判を委ねる。その結果、1年の3分の1はアドニスはアプロディテと過ごし、3分の1はペルセポネと過ごし、残りの3分の1はアドニス自身の自由にさせる事になった。 そしてアドニスは自分の自由になる期間を、アプロディテと共に過ごすことを望んだ。ペルセポネは愛が憎しみに変わる。 アドニスは狩りが好きで、毎日狩りに明け暮れる。 獣を狩るシーン、ここは俺のお得意のシーンだ。剣道をやっていたこともあって、素早い動きには自身がある。 俺がアドニス役に選ばれたもうひとつの理由はこの身のこなしだと、後でサーウィン先生から聞いた。 アプロディテは狩りは危険だから止めるようにと口癖のように言うが、俺はこれを聞き入れずに、アドリブのジョークを飛ばして会場の笑いを誘った。 アドニスが自分よりもアプロディテを選んだことが気に入らなかったペルセポネは、アプロディテの恋人である軍神アレスに「あなたの恋人は、アドニスに夢中になっている」と告げ口をした。 アレスは嫉妬に狂い、アドニスが狩りをしている最中、猪に化けて彼を殺す。劇では俺と軍神アレス役のテノール歌手が刀をかち合わせるように変えられている。さすがに猪の仮装はしていない。 剣道をやった事のある俺にしてみれば相手はスキだらけだがここは魅せるための戦いをしなくてはならない。そして派手な死に方。 アプロディテはアドニスの死を悲しんだ。やがてアドニスの流した血から、アネモネの花が咲いた。 神話と言っても人間と同じで汚ねえ。最後アドニスは殺されるというストーリーも美少年を伝説化させようと言う大人達の魂胆見え見えでムカついた。 こんな神話はクソくらえだが、劇が終わったときは大拍手が起きた。 俺はその喝采に酔いしれた。 そして、オールスターキャストが紹介されるときに、俺は客席のルーベルトと視線が重なった。 スウェーデンからこの日のために来てくれたんだ。彼は更に大人になって見えた。 終演のあと、俺は楽屋を飛び出し騒がしい出口の人ごみの中にルーベルトを見つけて腕を捕まえた。振り向いたルーベルトは微笑んだ。 「見事なアドニスだったよ、今までにない、美しくて荒々しいアドニスだ。カルリーネもお前に恋してしまうかもしれない」 ドキッとした。俺の顔色の変化をルーベルトは見抜いてニヤリと笑った。 カルリーネを恋人として俺は見ていたんだ……。 「僕は去年別の劇で一度共演したことがあるからカルリーネの性格は少しは知ってるよ。 あなたは完璧だけど何かが足りないって言われた。 その何かを、お前は持っているのかもな。 カルリーネは僕以上に完璧主義者だ。まあ、お前が一流のプロとして凄いところを見せてやれば年の差なんてあまり関係ないぜ」 ルーベルトは俺の肩をポンと叩いて、さよならを告げた。 車窓から見るウィーン郊外の、緑が眩しい見知らぬ土地。 「あの赤い屋根の建物だ」 車がカーブして古ぼけた屋敷の前に止まった。サーウィン先生の後を追いかけて俺は屋敷の中へなだれ込み、個室のドアを開けた。 「やあ、大鷹くんか。私の名はケビン・レノンだ。君の声は十分聴かせて貰ったよ」 目つきの鋭い、グレーの髪の男が俺に手を差し出した。俺はゆっくりその手をつかんだ。彼は強く握って縦に二度振った。 「君の声には驚いた。とても11歳とは思えない」 「おじさんは、俺に何を望んでいるんですか」 「1200Hz以上の周波数を望んでいる。君はカストラートになりたいんだろう。君の精神年齢はすでに大人だ。そしてソプラノは君の道になってしまった。この声を極め続けたい。それにはカストラートになる以外に手段はない」 こいつ、いきなり何を言いやがるんだ。サーウィン先生から、事情聴取でもしていたのか……。 俺は何と答えればいいんだ。 この目の前にいる人物の鋭い目は、俺をカストラートにしたいのか。 「いきなりこんなことを聞かれても、返事のしようがないな。君には正直に私の目的を話そう。私はオーディオキラーという音響兵器を作った」 「オーディオキラー……」 ケビンは薄暗いシャンデリアの下にある、向かい合ったソファの右側に座った。サーウィン先生は左に座った。 「そうだ、音によって全ての金属を壊す。つまり全ての兵器を壊すってやつだ。分かりやすく言えば……そうだな、超音波溶接を聞いたことがあるか」 「いや……あるよ、音で金属を溶かすって……」 目の前の男が、とても不気味に見えた。俺は初対面の相手を、必ず疑うことから始める。そして俺の心に引いてあるボーダーラインをクリアできたヤツが、俺と友達になることを許される。 「音響兵器は今までにも実際に使われてきた。最も古い例としては1960年代から旧ソビエト連邦が低周波を利用した。一般には報道されていないが音響兵器といっても敵兵器を破壊することを目的としたものから、心理的ダメージを奪うものまで多種多様だ」 「俺の中では最も古くは項羽と劉邦の四面楚歌だと思っている」 俺の反論に、2人の大人が目を丸くした。 かつて中国に勢力を持っていた2人の武将、項羽と劉邦。 追い込まれた項羽の軍に対し劉邦は、その夜、楚(項羽軍の故郷)の誰もが知る歌を全兵に歌わせた。項羽の軍は翌日の戦闘で戦意喪失し惨敗した。 「歴史の勉強もちゃんとしてるんだな。確かにあれも、心理作戦による音響兵器だな」 ケビンが笑った。妙に目が輝いているのが、ボーダーラインクリアの第一要因だ。この男の話を聞いてみたくなった。 「少しは俺に心が動いてきたようだな。もうひとつ言うと俺はバンドマンだ」 「そういえばテレビで見たよ。まだ俺がウィーンに来る前……あんたがケビン博士か! それを早く言えよ」 俺はソファに座り、彼と向き合った。11のガキのタメ口にも顔色ひとつ変えない目の前の男の度量の大きさ、興味があるものを話すときの目の輝きが、どんどん俺を引きずり込んだ。 「ブラスターのボーカルはエドモント、戦車がぶっ壊れた」 「あれは実験にすぎない。戦車との距離も近すぎて実現性にはほど遠い。音響兵機の弱点は音速を超えることはない。つまり、何キロも先のものを破壊しないと意味がないんだ。しかも指向性を持っていなければ意味はない。その音を聞いて、味方も同じようにダメージを受けてしまうからな」 俺は笑った。科学者の話は面白い。 俺みたいな素人にでも、分かりやすく話してくれる。 「音波はもっと簡単に言うと波だ。つまりは波動、レーザー兵器と同じく波動兵器になる。つまり音波は、音速を超えることはない。だが戦闘機はマッハ5や6も現在使われている。だから、音波が指向性を持ってしまえば、戦闘機やミサイルに命中させることは出来ない。しかし音波は範囲でそれをカバー出来る。つまりだ、指向性の角度調節をすることによって、その問題点は克服される」 子供の俺にでもわかる説明だった。 「俺をなぜ呼んだのか、俺に何をしてほしいのか……早く言えよ」 焦れた俺を見てケビンは一瞬ほほえんだが、すぐに、マジな顔になりソファから、前かがみになって俺の瞳をのぞき込んだ。 「歌え。それだけだ。いいか、俺の夢は……音響兵器オーディオキラーでレナード軍を壊滅させることだ」 俺の胸にある火種がバチバチと燃えた言葉だった。 「エモーショナルエナジー、これを使うことにより、音速を超える強い衝撃波と指向性を持ったハイパーソニックサウンドが完成した。オーラ、エモーショナルが最高潮に達したとき同じソプラノ最高音1200Hz(ヘルツ)とその中にある倍音が超音波としてパラメトリック・スピーカーから放たれ金属融解をする。そして、エモーショナルエナジーを最も高めるサウンドのバランスがロックなんだ」 「俺に、ロックを歌ってほしいんだな」 「そうだ、そして260Hzから1200Hzまでのエモーショナルエナジーを持つ周波数が、最も金属の破壊に適していることが現段階では推測されている。まだそれをやったことはない。君にやってほしいんだ」 「なるほど、その周波数が、ちょうどソプラノの声域になるわけだ」 「そうだ。俺はヘリを持っている。オーディオキラーは地図にも載っていない無人島にある。島の名前はレノンだ。君に歌って欲しい」 俺の胸に眠っていた野生の炎が、天高くまで突き上げた。そしてケビンに、自分と重なり合う部分を見つけた喜びに狂喜した。 ロックで軍をぶっつぶす、聞いただけで鳥肌が立った。この世界からケビンは戦争を無くす気だ。俺とケビンの視線が火花を散らした。目つきの鋭い俺が思い切り睨んでも、受け止めてくれる。 「あんたに協力する……」 ケビンと俺は固く相手の意志を確かめる握手をした。ロックで戦争を潰す。それは俺の最大の夢になった。 「今すぐレノン島へ来てくれ、破壊実験を敢行する」 サーウィン先生がうなずいた。ケビンと先生は無二の親友なんだと俺はこのとき分かった。 「大丈夫だ。合唱団の方は今から夏休みに入る。その1週間を使えばいい」 俺の心に執着する狂気の矛先がカストラートから戦争破壊に変わった瞬間だった。俺の声で、レナード軍を崩壊させる。 第十一章 レノン島襲撃 そこは大海の波しぶきにさらされた岩だらけの島だった。寝不足の脳に水をかけられたみたいに、大海からの強い風は俺の眠気を吹き飛ばした。 火山の噴火で出来た、まだ草も生えぬ黒い玄武岩の大地。その中央には、カムフラージュされて遠くからは分別しにくい、黒鉄の小さな要塞がある。 直径1キロメートルもない島だ。 東西南北の何処を見ても、海しかない。風があまりにも強く強く吹きつける。飛ばされそうでも掴まるものもなく俺は足腰で踏ん張った。 「どうだ、いい眺めだろう。ここが俺の研究所レノン島だ」 「時速400キロのヘリでも丸三日ってことは、ここは大西洋のど真ん中?」 「まあ、そんなところだ。北緯25度、暑くも寒くもないだろう。そこに立ってろ、面白いものを見せてやる」 ケピンが要塞の中に入っていく。俺は風に吹かれながらドアの中に消えるケビンを見送った。 暫くして、要塞の左右の地面が割れ、予想していた巨大スピーカーが4つ現れた。 これがパラメトリックスピーカーか……。俺が立っている目の前の地面が盛り上がり、そこから現れたのは銀のマイクだ。 「今からあのヘリをぶっ壊してやるか」 要塞からケビンと数人の男が出てきた。 「マジで……」 「ああ、俺もギターが弾きたくなった。お前はヘリの中で覚えた歌をちゃんと歌ってくれればいい。オレたちのサウンドで、あのヘリをぶっ壊してやろう、それからお前にはこいつをつけてもらう」 「何だこれ」 「エモバンドだ。コンピューターの耳と思ってくれ。一流アーティストには感動する。高い声が好きだ。お前の年で400を越えたら天才だ。この数値が高いほどオーディオキラーの破壊力はアップする」 ヘリの中で覚えた曲を俺が確認していると、いきなりギターのディストーションが響きドラムのインストが来た。背骨が振動した。ロックだ。しかもみんな一流の匂いがする。俺はマイクの向きを変え、メンバーを見ながら歌い出しのタイミングを計った。 オペラにない重厚かつダーティなサウンド、稲妻のようなドラムのシンバル。 オペラでは、これほどの鼓動はなかった。歌の合図をするケビン。そしてついに俺は歌い出した。 この声は何だ!? 誰の声だ?! 自分でさえ気付かぬうちに声がロックに乗って疾走していく。ケビンが回りのメンバーと顔を見合わせて喜んでいる。気に入ったようだ。自分の歌い方が自然と変わっている。信じられない声の色だが悪くない。いや、イケる! 一気に楽曲が終わった。 「グッドだ。エモバンドを見てみろ」 「515って出てるぜ」 「やっぱりな。おまえは天才だな。今のはリハーサルだ、歌の入りも分かっただろう。次は本番だ、エモーショナルエナジーを使ってあのヘリをぶっ壊すぞ」 ケビンは目を輝かせて叫び、本番の火蓋が落ちた。 オート操縦されている無人のヘリ15機が、更に遠ざかり空中に止まった。要塞左右のパラメトリックスピーカーが光った。 俺が歌い出した瞬間、遙か遠い海上のヘリコプターの動きがおかしくなる。壊したい、あれを戦闘機と思え!俺はあのヘリに思いをぶつけて燃えた。 ノドも張り裂けるシャウトが最高音の1200Hzの音域に到達したとき、ヘリコプターがグラグラ左右に揺れ爆発した。ついに、ロックがヘリを撃墜した。 曲が終わった後、要塞から男達が飛び出し、歓喜の声が沸き上がり島を包んだ。俺はただぼう然とヘリが爆発した空を、見つめていた。 ロックで世界を変える……。 俺が本当にやりたかったことは、これかもしれない……劇場で歌っているときも、確かに燃えた。だけど……今の俺は、爆発した。 俺が求めていたものは、これだ! 肩を掴まれ、夢から覚まされた感覚でその手を見たとき、その斜め上にはケビンの笑顔があった。 「ケビン……」 「大成功だ。あとはオーディオキラーをパワーアップさせれば、空軍でもぶっ壊せる」 ケビンの言葉一つ一つが、白い紙にペンで俺の脳に書き込まれた。 分かるよ……世界平和が崩壊すれば芸術も崩壊するんだ。 芸術で醜い戦争をぶっ壊す。 これが俺の求めていたロックだ……。 その夜は基地の中で十人のスタッフたちと一緒に食事をした。太平洋のど真ん中で捕れた魚が、テーブルの上に並んでいる。俺一人が子供だが、すっかりこの仲間に溶け込んで、そんなことさえ忘れさせてくれた。 ウィン少の仲間達といれば浮いてしまう俺は、本当の自分の居場所を見つけた気がした。太平洋産の見た事もないピンク色の魚を興味深そうに食べてグッドの親指を立てる男。首を振ってお前の味覚は変だというケビン。 大人になった気がした。男同士っていいもんだ。一緒に何でもやりたいと思った。そしてテーブルを囲んでみんなは床に寝た。ベッドなんて洒落たものはない。せいぜいソファだ。 「このボロい研究所にいつかオーディオキラーを完成させるのが俺の目標だ。夢とは言わない、目標だ」 「そのときは俺が専属のヴォーカルだぜ」 「勿論だ」 ケビンは冷たい床に大の字になった。俺もマネしてみたら背中に冷たさが心地いい。 「ケビン、なんでオーディオキラーを作ろうって思ったのさ」 「痛いところを聞く奴だ……」 ケビンのトーンがそれまでと比べて重く低く響いた。 「俺はカナダ人だがレナードに留学した。ハーバード大学を二位で卒業した。首席で卒業したのが親友のジミー・オーデュボンだった。二人とも科学者志望でな。 卒業してすぐレナード国のゼウス開発計画に誘われたが俺は断った。ジミーは引き抜かれたよ。ジミーにとっての科学は金と発明だった。あいつの家は貧しくてな、家族のためなら何でもしたよ。 俺はやりたい事をやれとオヤジから言われていた。 だからやりたい放題に生きた。バンドをやったよ。ただ学業において常に俺の上を行っていたジミーとは科学というものにすれ違いがあった。ジミーがバリバリに活躍しているとき俺はバイトしながらバンドに入り浸っていた。 そんな矢先だったよ、志願兵の父が戦死したって知らせがカナダから入った。カナダは国連主義の外交政策と関連して平和維持活動を重視してる。 レナード兵と一緒に、中東の戦争に介入してな、運悪く民間人の服装をしたゲリラ部隊に騙し討ちにあったよ。 俺のオヤジは最新式のレーザー銃で殺された。世界初、一撃必殺のレーザー銃だ。発明者はジミー……」 「レナードを裏切ったの」 大の字に寝ていた俺は寝返りを打ってケビンの横顔を見た。高い鼻と形のいいアゴのライン、いい男だが目は野性味を感じる。 「あいつは裏切ったと思ってはいない。自分の技術を高く買うところに技術を売ったまでだってな。レナード軍にこれを提案したとき、却下されたらしい。そこで旧アルク国と手を結んでそいつを発明し、密売した。ジミーはレナードにも内密にそのレーザー銃を敵国に売っていたんだ。 ジミーに最終兵器ゼウスの情報を流される事を恐れたレナードはジミーを暗殺した。騙し合いだぜ。くだらねえ……。 結局あいつの発明は全て人を殺す発明だった。 科学者っていうのは、人類を豊かにしていくために発明をしていくんだ。科学もひとつの芸術だ。こう言えばお前にもわかるか……」 「なるほどな、分かるよ」 ケビンはニヤリと笑って頷いた。 「俺はバンドを捨てた……あいつが次々と殺人兵器を生み出し、人類が武器兵器の発明を奨励するなら、俺はそれら全てを破壊しようってな。まあ、いろんな奴がオーディオキラーに協力してくれた。 大学時代のバンドメンバーだったカルビン・クルーガーに共和党の先輩アンソニー、あいつらはいい奴だ。俺の開発に莫大な資金援助をしてくれたよ」 「それでオーディオキラーを発明したってわけだ」 「そうだ」 力強く胸に響く「そうだ」 俺よりも長く生きているケビンの闇と光を見た一言だった。 ケビンの腕に頭を乗せた。父親にもして貰った事がない腕枕の感触は少し固い筋肉が心地よかった。痩せてはいるがヒョロヒョロじゃない、ガッシリした肩幅。ケビンは俺の頭を手のひらでそっと掴み、髪をいじりながらすぐに眠った。 本物の大人。 早く大人になりたい、そんな思いを駆り立てられる熱い夜だった。 レノン島の朝は涼しい風を研究所に送り込み、俺は誘い出されて波打ち際を歩いた。何処までも大海原。波は常に荒々しくうねっている。そのとき、島全体に響き渡る大声が俺を振動させた。 「F―51だ! F―51が五機レノン島に向かっているぞ!」 男が叫んだ。 「まさか……レナードに見つかったのか……!」 全員の顔が青ざめたとき、ケビンが叫んだ。 「歌え! 大鷹」 バンドメンバーはスタンバイすると怒涛のロックが島全体に響いた。意志が1つになってパラメトリックスピーカーから西の方向に放たれた。俺は思い切り声を張り上げた。スピードメタルの音量が倍増した。 「これが最高出力だ!」 前方1キロの海上にミサイルが落ち爆発した。俺の声が途絶えた瞬間 「歌え! 何をビビってんだ!」 ケビンが怒鳴る。歌わねば死ぬ。俺は腹の奥からこみ上げる怒りを乗せて思いきりシャウトした。ケビンのギターがうねりを上げる。ベースはスラップを弾く。ドラムは怒りのスネア連打が多くなってきた。 「戦闘機が一機落ちたぞ!」 歌うしかない、叫ぶしかない。しかし、それがミサイルを目の前にして、なかなかできない。その時またも空中で、ミサイルが爆発する。 「ダメだ、ヴォーカルの声量が足りない! エモーショナルエナジーも弱い!」 「周波数はいいが、パワーが足りない!」 前方100mが爆発し、俺は飛ばされ誰かが抱きしめた。爆風で、2人の体は飛ばされ、岩場に叩きつけられたとき、それがケビンだと分かった。 立て続けに右のパラメトリックスピーカーが撃破された。 「大丈夫か、大鷹」 「すまん、俺のパワーが足りなかった」 俺とケビンの夢が一瞬で爆破された。悔し涙が溢れた瞬間、ケビンは笑った。ドラムとベースを弾いていた男2人は、血だらけで倒れたまま動かない。 「なんだ、お前らしくないぞ。クソ生意気なソプラノボーイもただのガキか?」 「だって、俺の力が足りなかったばっかりに……悔しいよ」 「お前はよくやった。しばらくしたら、レナード兵がこの島に来る。お前はまだ子供だ。俺たちの犠牲にしたくはない。一人で、ボートでスペインに逃げるんだ。オート操縦にしてあるから、お前でもたどり着ける」 こんな時だけ、子供扱いか……。 生き残った数人が立ち上がり、要塞内では戦闘準備が始まっていた。 「ケビンはどうするんだ!」 「俺は設計図を守らねばならない。もう時間がない、急げ!」 その時、駆逐艦がすさまじい勢いで島に向かっているのを見た。波打ち際に用意された、巨大なサーフボードのような黒いボート。レーダーで見つからないステルスだ。 「ケビン、俺、カストラートになるよ。オーディオキラーを使ってレナード軍をぶっつぶすには、それしかないんだ!」 「分かった……さあ、急げ!」 「この借りは必ず返すから、……絶対生きていてくれよ!」 俺からケビンへ送った、せめてもの励まし。自分だけ逃げる事への後ろめたさ。悔しさが入り乱れた思いを爆音が吹き飛ばした。仲間達は既に銃を構えている。地面から大砲が現れ反撃の爆音が響いた。 島に銃弾の雨が降り始める。入り口が開き、俺がボートに飛び乗るや扉が閉まり、ボートは激しい振動に揺れた。急発進した衝撃で俺は飛ばされ背中を打った。横の壁に丸いガラス窓がこの暗がりを照らしている。顔を貼り付けてそこを覗いた。 島の四方が爆発する。レノン島が燃える。レナード兵の巨大な悪の牙が黒煙を上げて笑う。俺の人生で初めて味わった最大の屈辱、恐怖、憤り、そして怒りだった。 レノン島が燃える。 どんどん小さくなっていく。水平線に消えていく。 |
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