オ ー デ ィ オ キ ラ ー
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 第一部 蒼き炎 〜キアヌ・クルーガー編〜

 第八章 友情の罠



 新しい大鷹の家はニューヨーク区マンハッタン島北東部に接するブロンクス区にある。最も治安が悪い区として有名な場所を、なぜ彼は選んだのか。
 大鷹はじっと禅を組んで石のように動かない。
 大鷹を見ていると美しいその姿が、異様に不気味に見えた。現代を拒むように剣の道を極めようとする彼は、やはり殺人鬼でしかない。

「お前、その剣で、昨日も人を切ったのか……
 その目は世の中を呪っているようにしか見えない。
 その剣でオレを殺そうと思っているだろう!」

 同じように禅を組んでいたダルコが、怪しい目で俺を睨んだ。
 大鷹の恐ろしい目はついに殺気を露わにオレを睨んだ。
 殺される、大鷹に刀を握らせてはならない。オレは大鷹に飛びついた。ねじ伏せるんだ。巧い具合に抱き付いたらムラムラしてきた。

「大鷹、おまえ綺麗だよ、オレに抱かれてみないか!」

 そのとき、オレの身体がふわりと浮いて地面に叩きつけられた。
「ああっ、苦しい、誰か助けてくれ!」

 口が意思とは関係なく叫ぶ。
 何を叫んでいるのか自分の脳が理解できない。
「キアヌ! おまえ変だぞ」
 ダルコに両肩を掴まれ揺さぶられた。
「離せ! 悪魔」
 今度は、水をぶっかけられうつ伏せに抑えつけられた。
 上を睨んだら見下ろしている大鷹と視線が重なった。

「お前、いつから麻薬をやってるんだ」

 オレが麻薬をやっている……?

 やってない。なぜ大鷹もダルコもオレを抑えつけているんだ。
 やっぱりオレは変になっているのか。この苦しさは何なんだ。
 異常にドキドキする。
 苦しい……麻薬……。

「お前もそう思うか、私もだ。異常な冷や汗といい視線のぐらつきといい麻薬の症状としか思えない。短期間のうちに大量摂取したようだ」
「待ってくれ……麻薬なんてやっていねえぞ……変なのか。変なのはオレなのかよお!」
 やっと謎が解けた。
 俺は誰かに、麻薬を打たれた? いや、飲まされたんだ。
「誰かと何か飲んだ記憶はないか?
 らりった頭じゃそこまで考えられないか」
 大鷹の質問を、必至で解釈した。

 すぐにマトスの顔が浮かんだ。

「あのヤロウ……」
 悔し涙さえも出ない。
 あの笑った笑顔。すべて嘘だったのか……。
「なんだ。誰だ」
 大鷹が突っ込んで問いかける。
「誰でもいい……。ただよ、この苦しみの原因が分かってほっとしたよ。耐えてみせるさ、あぐ、離せえー!あ、おおー!」
「お前のダチか……まあ誰でもいい。とにかく耐えることだ、今から地獄の苦しみが始まるぜ」
 ダルコがオレを押さえつけ縛り始めた。オレの痙攣を伴う全力での抵抗にさえ、ブレもしない凄まじい力だ。
「薬は切れ始めてからが地獄だからな……」
 息苦しい、ダルコの顔が奇妙に歪んだモンスターに見える。
 そう、この目がおかしいんだ。

 心臓が苦しい。

 鼓動で身体が揺れる。吐き気がする。
 こんな拷問があと何日続くんだろうか……。

 ダルコが帰った。
 寂しい、一人にしないでくれ。眠りたくても眠れない。
 大鷹、助けてくれ。苦しい……。
 まだ一時間、いや、まだ十分もたっていないのか……
 時計を速めてくれ。

 そして長い地獄は続いた。
 がんじがらめに縛られたオレに時々水を飲ませる大鷹は、天使にも悪魔にも見える。そしてまた発作が起きる。
 それでも、苦しみは続いた。一年にも感じる長い苦しみが続き、三日が過ぎた。



 スッキリと目が覚めた。
 閉め切った部屋のカーテンの隙間から、太陽の光を感じる。
 長い地獄からやっと天国の崖っぷちに、指がひっかかった。

 確かな手ごたえを感じた。

 やっと悪魔から解放された。この指に力を込めゆっくりと体を乗り出して、この世界を見渡す。

 やっと元に戻れた……解放された。

 向こうのソファに寝ている人物がゆっくり起き上がり、振り向いて微かに笑った。朝の光にうっすら浮かぶ頬の輪郭はうぶげもないマネキン人形。
 いや見たことがある、確か……。

「よお、やっと薬が抜けきったようだな」
 ぶっきらぼうな声。何だ、大鷹じゃねえか……。
 いつも男臭い革ジャン、ランニング一枚の彼を初めて見た。
 その白い肌と身体のしなやかさは女の匂いがする。オス、と片手でアイサツする脇の下はツルツルだ。
 そう言えば……あの留置場の時も、一週間ものあいだ、みんなヒゲ面だったのに、大鷹だけが髭も生えずツルツルだった。
 顔に手を当て頭痛のふりをして指の隙間からランニング姿の大鷹のラインを食い入るほど見つめてしまった。
 大鷹は素早く立ち上がり、後ろ向きに太陽を見ながら、ランニングの上にデニムの青いシャツを着ている。その背中のラインはキャサリンを思い出させるほど腰がくびれて細い。セクシーだ。
 大鷹に性的魅力をかりたてられムラムラしてしまうオレの頭は、まだ大麻に侵されて変になっているのか。
 壁際にはヤマト刀がかけてある。彼が家に泊まっていたときと、部屋のコーディネイトは変わらない。

「……すまないな。こんなオレを介抱してくれてよ……」
「親父の介護をした事があるからな。もう死んだけどよ」
 デニムのシャツから長髪を掻き上げて出すその仕草は、シャッターを切りたいほど美しい。
「誰かに飲まされたっていうのは本当か?」
「……ああ……すまねえ。有り難う」
「なあに、いいってことよ。こればっかりは予想もできねえ。一つだけ注意するなら、あまり回りを信用しないことだな」
 大鷹はオレの縛りつけられた両手両足の縄をナイフで切った。
「……ああ、有り難う」
「ワールドツアーが始るぜ」
「そうだな……」
 オレの心は少しずつ正常に戻っていった。

 戸棚にウオッカのボトル『スミノフ』を見た。
 やはりダルコはよく遊びに来ているようだ。
「大鷹、本当に世話になったな。借りにしておくよ」
「いらねえよそんなもん。さっさと帰れ」
「へへ、帰るけどさ……」
「おら、飯食っていけよ」
 大鷹が投げたのはコンビニのおにぎり。
「ヤマト人なんだな。やっぱりライスか?」
「あまり食わねえな。俺もな、頭がおかしくなって山ごもりしてたことがある。食わなくてもいい身体になっちまった」
「へえ、聞いたことはあるけど本当かそれ?
 ちっとは食った方がいいんじゃねえのか」
「酒だけは受け付ける」
 オレは笑いながら久しぶりに食べ物を口にした。ライスは嫌いじゃない。その仄かな塩味とノリという薄っぺらく張り付いた海草の風味にヨダレが溢れ出て一気に一つ目を食べると二個目をほおばった。

「オレって弱いもんだぜ。苦しんでいる最中は、本気で薬を打ちたいと思った。自分でも情けないけどよ」
「みんな弱い。だから歌うんだよ」
 大鷹は壁に掛けてあるヤマト刀をとる。素早く上から振り降ろし、そして振り上げた。長い黒髪が舞い、その目は恐ろしいほどの殺気を放った。

「弱いから強くなりたがる……。
 だがよ、強くした肉体に弱い心がすがっているだけなんだ。
 弱い体を持った奴が、強い精神力で生きていることもあるんだぜ」

「そうか……例えば障害者だ」
「そうだ」
 大鷹はヤマト刀を鞘に収め、そっと壁に掛け数秒、黙祷した。
「俺は弱いから、まだ剣が離せない」

 その横顔の妖しさはゾクリとさせる。
 アイツは自然に笑っただけなのに、オレは同性愛じゃねえってのに揺り動かされた。美貌ってのもある種の麻薬だ。全ての面において、手に負えない存在、角魔大鷹。
 ふと、黒い机の上に無造作に広げられたジャケットを見た。
 大鷹のクラシックCDだ。

「お前の、クラシックのCD完成したのか?」
 オレはそのジャケットに飛びついて隅々までにらみ据えた。
 ジャケットに映しだされた大鷹の美しさは息を飲むばかりだ。
 アートサイダーのヴォーカルだと言う事が一目で分かるようにこうしたんだろうということがすぐに分かった。

「音楽のことになるとお前はすぐに元気になる、音バカってのは死ぬまで治らないんだろうな。俺もお前も」
「聴いていいか、このCD」
「勝手にしろ」
 CDをデッキに入れた。聞き覚えのある最後の曲が耳に残った。

「オンブラ・マイ・フ……どうしてこの曲を最後に……」
「俺にとって忘れられない曲だからだ」
 オンブラ・マイ・フは女性ソプラノ歌手しか歌えない。ロックを歌うときとは全く違う声質で歌う大鷹のオンブラ・マイ・フ。
 あり得ない歌声の透明さに涙が流れた。
 ジャンルを超えて名曲はオレの心を洗い流す。

「すげえよ……いい曲だ」
 大鷹の挑発的な言葉の意味が今はよくわかる。
 歌ってみろよ、その汚い声で。
 芸術に、そしてヴォーカルにここまで命をかけた大鷹にとっては、自然にそんな言葉が出たとしても今なら納得できる。麻薬から目覚めて、オレは今までになかった感性の一部が、目覚めた気がした。

「アートサイダーも、よろしくな」
「心配すんな。俺の本線はロックだ」
 一番聞きたかった言葉をアッサリ言ってくれた大鷹。窓を開け窓縁に手をついた彼は遠い空を見上げた。
 風の滴が部屋一杯に立ち込め、大鷹の髪が風に踊る。



 そして……マトスの苦しみを知って、オレはまた、あいつへの友情
が燃えた。なんとかあいつを助けてやりたい。

 クズ野郎だが……。

 マティーニ解散のニュースを聞いたのは、その一週間後だった。
 デビューわずか三年でまさかの解散……。
 行き場を無くしたマトスは軍に入隊したというアダムからの知らせも、オレにはショックだった。








 キャサリンは哀しそうに笑った。
「おめでとう……」
 そう言わなきゃいけないのよねって声が、今にも聞こえてきそうな顔だった。
「ごめんよ……しばらく会えない。明日は一日、君と過ごしたい」

 二週間ぶりに逢うキャサリン。
 ブルックリン区アトランティックビーチの海岸で、規則正しく飛び立つ飛行機とともに時間は刻まれていく。近くには、ケネディ空港がある。
 レナードは広い。国内線でニューヨークを離れるときでさえも旅の前は、必ず一抹の寂しさを感じる。

 なぜか、それはキャサリンがいるから。

「この前行った映画、私最後ガッカリしたわ」
「え? 良かったじゃないか、ジョンはアグリルの所に戻ってきてハッピーエンドだったじゃないか」
「そこが面白くないのよ、彼はギャンブラーなんだから最後まで、意地を見せてほしかったわ。そして彼女と別れて、彼の世界に戻るの。ギャンブルの魔力とかそういったものはうまく表現できていたのに、終わり方が平凡だったわ。
 せめて、プロのギャンブラーとして、成功する!
 映画なんだからそこまでいかなきゃ」
 キャサリンのキラキラ輝くシャープな瞳はいつも、誰に対しても、自分の願望ではなく、相手の本質を見抜く。きっとこんな彼女だからオレとの交際を続けてくれているんだ。

「なるほどね……君らしい。鋭い意見だ」
「だからよく友達からもかわいくないって言われるわ。男の人からもね」
 キャサリンは肩をすくめた。
 時と共に、そして逢う度に彼女は美しくなっていく。
 その金髪の輝きまでもが、時間の経過とともに、より、きらびやかになっていく。
 彼女といる時間があまりに楽しすぎて、音楽さえもが一瞬、邪魔に感じることがある。
 音楽への情熱がキャサリンとの時間を邪魔したデビュー前。
 心の中に占める度合いが、あのころとは逆にキャサリンの方が少しずつ大きくなっている。
 身勝手なものだ。

「お願いがあるの。一度だけ、メンバー皆そろっての練習を取材してみたい」

「スタジオ練習かい? いいぜ。うちのメンバーは気さくだし」
「ほんと? ほんとにいいかな」
「大丈夫さ、オレがなんとかするよ」
「楽しみだわ。キアヌの夢は私の夢でもあるんだから」
「君の夢……?」
「だって、小学校、中学校、高校……
 ずっとあなたの音楽を聴き続けてきたのよ。
 へったくそなときから。口でジャンジャカとか言ってイントロを口ずさんでいたころからよ。そしていきなり歌い出すんだもの。バカかって思った」
「自分でもそう思うよ」
「でもあなたが初めてギターと一緒に歌ったときにびっくりした。あのジャンジャカってこういう音だったのって思うと、涙が出てきた」
「父に買ってもらったギターで弾き始めたんだ。それからだったね。
 君がオレの音楽に振り向いてくれたのは」
 キャサリンは瞳で頷いた。

「あなたに惹かれたのは……それからよ」

「そうだったんだ……初めて聞くよ。オレはただ躍起になって弾いていたんだけどね。君はオレを挑発する小悪魔だったからな。
 なかなかいいって言ってくれなかったから、今思えば、それもオレの才能を磨いてくれたってワケだ」

 キャサリンは海に向かって歩き出した。
 アトランティックビーチでは、海を見渡すと夕陽は右側の地平線に沈んでいく。波の音は少し静かになった。

「あなたが旅に出たとき、音楽のためだったから待った。正直、それ以外の目的だったらとっくに彼氏を作っていたわ。これでもモテるのよ。あなたも私なんかよりもっといいオンナいるんじゃないの」

 彼女はこういうことをアッサリとジョークにして言う。
 普通の女の子ならもっと付きまとうんじゃないだろうか。
 新しい彼女がいるんじゃないかと推測してみたり、だからそんなスキを与えないように積極的につきまとう。
 高校時代、もてる彼氏を持った女の子によく見たもんだ。
 少なくともこんなジョークは言えないんじゃねえの。
 いつも、オレが夢に果敢に挑戦する様を、時には母親のように一歩引いた位置から見守ってくれる。

 好きなようにしなさいって……

 ふと、サウンドスレイブのクリスに返された言葉を思い出した。
 オレは有名人なんだと。
 そして大鷹が言った一言を。

 あんまり人を信用しすぎるな。

 彼女にも人生がある。
 いつまでも待ってくれるなんて思ってはいけない。大切にしたい。

「有り難う……オレは、いつか君と……」
「まだ早いわよ。デビューして二年たって、これからが稼ぎ時っていうときにそんな話するの。大丈夫、私は待ってるから」
 ずっと、ジーンズの右ポケットにしまってきた指輪を出す時が来たと確信した。彼女の背中に近づくと、ゆっくりとその肩を掴もうとしたら、彼女がクルリと振り向いたので戸惑ってその手を下ろした。

「なによ……」
 その微笑。
 妖しく、いたずらっぽく、挑発的にも神秘的にも見えて、その奥にある心がどんなふうにも見えてしまう。

「受け取ってくれ。婚約指輪だ。君を、愛してる。君以外は考えられない」

「あたしで……いいの……」

 初めて彼女が弱気な愁いを帯びた表情になった。
 オレがロックスターになったことによって、いつの間にか気付かぬうちに生まれた目線の違い。彼女の中で、どれほどの葛藤があっただろうか。有名になっていくほど、すれ違い。

「君しかいないんだ。君はオレの最初のバンドメンバーなんだよ」

 抱きしめた。
 服の上からでも感じる柔らかな体をしなるほど抱きしめた。
 今はただ、バンドのことよりも、世界中に、たった一輪しかいないバラを、いつまでも抱き締めていたい。
 もうオレがギターを抱えて歌わなくても、音楽はテレビやラジオ、そしてCDが奏でてくれる。
 今は、この瞬間だけは、彼女のためだけに生きたい。


  *                 *


 ニューヨークで最後のバンド練習。
 ワールドツアーの最初は、ブリティッシュロックの聖地イギリスのロンドン、リバプール、グラスゴーだ。
 新曲披露も兼ねて、メンバーも気合を入れたいところだ。休憩時間をねらってオレは思いきって言ってみた。

「実は、オレの彼女が差し入れを持ってきたんだ。
 ピザとチキンなんだけど」

 イェーイの四人一声にスタジオが包まれた。
「あとさ、それで、そのあとだけどさ、練習を取材したいって言うんだよ。
 オレが世界へ旅に出るときから、ずっと応援してくれてた。
 オレの小さいときからの音楽を知っているんだ。
 今がワールドツアー前の大切な練習時間だってのは分かってんだけどさ、見せたいんだ彼女に。ダメかな」

「構わねえぜ」

 真っ先に大鷹が言った。
 みんなも笑っている。
「ロシアで、ホームシックぅになったあの時の彼女か。いいんじゃないか」
 アドルフも笑っている。
「私たちは練習だからって、手抜きはしない。
 練習風景は見せないというプロもいるがそんなのは本物じゃない。
 練習風景を見せられてこそ本物のプロだ」
 ダルコらしい言葉にスコットも頷いた。
 キャサリンがオレの合図、カモンの掛け声で扉を開けた。
 イェーイの四人一声にスタジオが溢れた。予想以上の美人にみんなの驚いた顔がオレは照れくさかった。アドルフが、コノヤロウという目で睨み付けたがすぐに笑った。

「あの、はじめまして、キアヌの彼女……です。
 キャサリン・マクドヴェルです。みなさんのファンです……
 アドルフさんのドラム、凄く複雑なビートで、それがマッチして、とてもカッコイイです。
 ダルコさん、総合格闘技の時から、キアヌと一緒に応援していました。ベースもとても甘くて、溶けそうな音色を出したり、激しいスラップで弾いたり、凄い素敵です……」
 そして大鷹と視線が重なったとき、キャサリンは言葉が詰まった。

「あの……」

 見とれている、こんなことにももう慣れた。
「綺麗ですね……」
 それしか言葉が出なかったようだ。
 大鷹は肩すかしを食らった顔でガクリと膝をついた。
 いつも堂々としている彼女が、この時は初めて入学式を迎える子供みたいになった。

「これ、どうぞ」
 キャサリンはバスケットを開いた。銀紙に巻かれたものを次々と開いていくスピードはいつも通りの手さばきだ。
「熱いうちに食べて……」
 キャサリンの言葉に、大鷹が早速ビザを取って食べた。
 そしてすぐに
「うんめえぜおい、みんな早く食えよ」
 さりげなく温かい大鷹だ。
 ダルコはベースを下ろしてキャサリンにサンキューの視線を送ってピザを取った。大男が手に持つと、ビザが小さく見える。しかし、顔と口は標準サイズなので大男が小さいピザを大口を開けて食べているのが妙に愛きょうがある。
 アドルフがドラムキットの奥からタムを飛び越えてバスケットのチキンを取りニッコリと白い歯を見せた。スコットは先に一服していたようで、キーボードの横に置いた灰皿にタバコをねじり消すと遅れて輪の中に入った。

 この二度と戻ってこない一時間が、ワールドツアーの前だけにオレとキャサリンには痛いほど切なくて消化しきれないほどの大きな時間になった。
 あっという間の食事が終わると、メンバーは余韻に浸ることもなくまた真剣勝負の練習が始まり、もう誰も彼女の存在すら忘れた。
 オレのギターが最初になり始めたとき、キャサリンの瞳が潤んだ。

 そして、大鷹の声が響いた一瞬、キャサリンの瞳孔が大鷹に食い入った。

 演奏が終わったとき、キャサリンは大鷹に抱き付いた。
 戸惑う大鷹は、突っ立ったままオレを見た。
 オレにさえ、その行動は予測出来なかった。
 大鷹の声は確かに、この四人の中でさえ際だって魔力がある。
 しかし、キャサリンが……。
 しばらくしてキャサリンは大鷹を離し、言葉を振り絞った。
「ごめんなさい、感激して……気が付いたら抱き付いていたわ……」
「いや、よくある事さ」
 大鷹は冷たく離れマイクを握りしめた。


  *                 *


「感情が高ぶった、ホントにそれだけか!」
「本当よ! 信じてよ!」
「オレの気持ちが分かるか!」
「分かるから謝ってるのよ、ただあの声は反則だわ……
 心を吸い取るれるっていうか……今までに聴いたことがない
 ……あなたなら分かってくれるでしょう」

 キャサリンの、オレを見つめる瞳が少しもぶれなかった事が、オレを安心させた。
「……ま、許してやるか。お前を信じるよ。悪かった、オレがどうかしてたよ」
 彼女の方から、オレの胸に飛び込んできたので、ガッシリと受け止めた。
 男の方が嫉妬深い。
 まさかメンバー内で、大鷹に対してまでこんな感情になるなんて。

 それがきっかけで誰にも奪われたくないと言う思いは爆発した。

 その夜、オレは初めて、彼女と別荘で熱い夜を共にした。
 キャサリンの、シルクのような肌を滑るオレの手と唇。
 ずっと欲しかった。
 ずっとこの肌が欲しかったんだ。想い出が駆けめぐり、ロックのようにオレはその胸に埋もれ、キャサリンの感度がいい声を歌のように聴いた。
 あの気丈で気高いキャサリンからは想像出来ない切なげな、泣きそうなあえぎ声は普段のギャップもあって余計にオレを燃えさせた。
 オレのギターで歌ってくれ、セックスはロックだ。


 甘く激しく、ベッドというステージでのロックバラードは終わり、静けさが訪れた夜、キャサリンがポツリと言った。
「キアヌ、嫌な予感がするの……」
「何が」
「あなたがもう、帰ってこないような気がする」
「だけどいつも、帰ってきた。今度だってそうさ」
 キャサリンがクスクス笑い出した。
「何だよ、何がおかしいんだよ」
「私が大鷹に抱きついたこと、きっと神様のミッションだったのよ」
「ミッション……」
「だってあなた、私のことを大切にしすぎてるって感じでさ、全然抱こうとしてくれなかったじゃない。だから恋のキューピットがイタズラしたのよ」
 オレは彼女の全ての言葉が愛情に変わった。
「その通りだよ。本当は君の肌に触れることも怖かった。君が大鷹に抱きついた瞬間、そんな自分がぶっ壊れたんだ。大鷹に取られるんじゃないかってさ」
「バカね、でもあなたが怒ってくれて、本当はとてもうれしかったのよ」
 オレは彼女と唇を、唇でふさいだ。
 抑えきれない彼女への思いは、また、新たなロックバラードへとオレを誘う。


「角魔大鷹……不思議な人ね。
 言葉や行動はとっても男臭いのに、抱き締めた体のラインは、少年っていうか……
 女の人みたいだった……」
「……君もそう感じたか。オレもずっと思っていたよ。大鷹は女かも知れない。体毛がない、喉仏もない」
「肩の厚みはあるけど……ウエストなんか私よりも細いし……顔も綺麗よね。くやしい」
 オレは思わず吹き出したらキャサリンも一緒に笑った。
「ただ腑に落ちないのは、あの声だ……絶対に男にしか出せないような……
 そんな声なんだよ。あの声は……」
 大鷹には闇が潜んでいる。
 自分が今、幸せの真っ只中にいる程、闇を引きずる影が大鷹には付きまとう。自分の幸せを分けてやりたい。これはやはり大鷹を男として見ているからなんだ。

「キャサリン、男には、愛情と同じぐらい大切なものがある。
お前を守るように、大鷹を守ってやりたい。そして、今のメンバーをな。いつかその時が来ると思う。
 そしてアイツ等もオレ達を守ってくれるさ」
「キアヌ……」
「ホラ、よく言うだろう。恋愛よりも夢を大切にする奴。
 でも君はもう、そんなオレ達の夢の領域に入り込んだ恋人なんだ。
 だから……誰よりも君を守るよ」




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