オ ー デ ィ オ キ ラ ー
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 第一部 蒼き炎 〜キアヌ・クルーガー編

 第五章 サムライ



 ヤマトのボーカル……
 どう考えても最悪だぜ……

 まだガキのころ、興味半分で初めてヤマトのロックバンドが出したCDを聴いた瞬間、ボーカルの酷さに、耳がむず痒くなった。


 4人になったロッカーたちは、山道を歩いている。
 ヤマトの時代劇を見たことがある。すぐに忍者を思い出す。チャンバラは大好きだった。拳銃のように、指先で人を殺すのではなく、全身の力を込めて、あの大きな刃物を振って殺す。
 銃で殺し合う映画しか見たことなかったオレは、そんなところにも礼節を感じたりしたものだ。

 まあそんなことはどうでもいいが、ライブハウスを回るのかと思いきや、なぜこんな殺風景な山をスコットは歩いているのか……。

「今回ばかりは納得いかねえな。ヤマト人はチビだし声量もない、最もヴォーカルが向いていない民族だ」
「まさかお前からそんな言葉を聞くとは思わなかったよ」
 スコットの呆れた声は、人種差別する奴をいつかニュースを見ながら否定したときの声色に似ていた。
「そんなんじゃねえ、偏見と区別は違うさ。これだけ実力者ぞろいのメンバーが揃ったってぇのに、何でバンドの核でもあるヴォーカルがヤマト人なんだ?
 区別だ、向き不向きがあるってことを言いたいんだ」
「同感だな。リズムぅ感覚なら黒人の右に出るぅ者はいない。ワタシ断言できるぅ。そして作曲センスなら全世界を征服ぅしているぅ白人だ。ヴォーカルぅも、黒人か白人がいいに決まっているぅ。
 キアヌかダルコでOKダ。早くぅバンドをやりたい」

「とにかく聴いてから意見を言った方がいいんじゃないのか」

 ダルコの重い声が、オレとアドルフをハエたたきで落とした。
 スコットとダルコはニヤリと笑った。
「2対2か、やっぱりバンドは5人いないと、こういうぅ時に困るぅな」

 アドルフが歩み寄りの姿勢を見せるがオレは納得がいかなかった。
 今までに、ヤマト人でうまいと思ったボーカリストが1人もいないからだ。
「分かったよ、とにかく聴いてやるよ」
 そしてスコットがオレを鋭く睨んだ。
「そいつはウィーン少年合唱団に2年間いた。歌は、合唱団で1番うまかった。最も高い声が出ていたしな」
「ロックに向くのかよ。歌うのは主にクラシックか教会音楽だろう」

 いつも通りオレの意見を無視して、スコットは話し続ける。
「元来オペラを歌う奴は、すべての音楽をこなせるんだ。
 いいか、声楽の元祖はオペラだ。マイクなんて音の増幅機が生まれる前は、人類は肉声で大観衆に歌っていたんだ」

「まあそれは確かにそうだけどよ」
 何かというとを言い聞かせるように「いいか、」と偉そうに言うスコットの口癖は初めて聞いたときはむかついたが、最近はちょっと好きだ。いつもそうやってオレを納得させてくれたからだ。
 未知なるヤマト人に少しだけ興味がわいてきた。
 しかしまあ、どういう心境の変化で少年合唱団から山ごもりだ。
 アドルフもダルコも無口にただ山道を歩いていく。

 不思議なものだ、山に登ったことは何度もある。
 なのに、ヤマトの山は、どこか雰囲気が違う。
 とても繊細で葉色が鮮やか、そして起伏は緩やかだ。
 本当に忍者が出て来そうな気がする。

「あいつが山ごもりをしてきた洞窟だ」

 スコットが指さした。
 ここは九州、熊本の霊厳洞。
 かつて、剣豪宮本武蔵が終生修行のために身を置いた洞窟だと聞いている。彼が書き残した『五輪の書』は、ヤマトよりも旧アメリカで売れた。
「しかしまあ、どうしてこんな山奥に住んでいるんだ?
 もしかしてビッグフットにでも会わせてくれるのかい」
 アドルフのジョークは、カナダ人のスコットに合わせた粋なものだ。
 ビッグフットとは雪山に棲む伝説の猿人で世界各国で似たような目撃情報があるが、いずれも作り話だとオレは思っている。
 子供のころ雪山で家族でスキーを楽しんでいたとき、オレだってビッグフットを見たって友達を騙して喜んでいた。

 スコットはいつになく目が血走っている。
 時折、小鳥やリスが木に登っていく。その葉音にも、過敏に目を引き、反応を見せている。やっぱり今までと違う。
 アドルフもオレと同じ視線をチラチラとスコットに向けている。
 落ち着いて歩いているのは、やはり軍人のダルコだ。
 いつ見ても物悲しさが漂う、穏やかな眼をしている。
 スコットは今まで必ず、想像以上のメンバーを紹介してくれた。
 もしかしたら、今回は今までで一番すごいメンバーを紹介してくれるのかもしれない。

「あの洞窟の中にあいつは住んでいる」
「あのさ、あいつあいつって、名前を教えてくれよ」
 スコットが初めて子供のような笑顔を見せた。
「ハッ、そうだったな。あいつの名前は……」

「誰だ」

 ナイフのような鋭い声が森を切る。
 そして暗い洞窟の影から、この世のものとも思えない美しい人間が現れた。オレとアドルフは息を飲んだ。
 イケメンを超越している。
 美女……いや、それだけでも表現できない。
 背中まである黒髪、クッキリ大きく鋭い目は何かを呪っているような、凄みさえある。身体のラインはしなやかにウエストはくびれて女を思わせるほど細い。
 ダルコはこんなときでも、常に穏やかな目をしている。

「久しぶりだな。角魔大鷹(カクマダイオウ)」
「待っていたぜ……ケビン」
「今は、スコットという偽名を使っている。俺はあのレノン島で暗殺されたことになっているからな……」

 握手している2人の目の輝きは、まるで戦友だ。この親しいオレでさえ、立ち入りできない領域を感じた。スコットの目が潤んで、大鷹(ダイオウ)の目も熱くなって見えた。
 今までに聴いたことのない特殊な声。
 歌う時はどんな声になるのだろうか。
 黒装束に刀を腰に差した忍者、世捨て人なのか……。
「茶でも入れるよ。まあ入れ」

 四人は洞くつの中に通された。
 内装は岩堀の大自然の部屋といったところだろうか。凸凹に削られた石のイスがバラバラに四つあり、みんな不規則に座った。彼はお茶を入れた。その手つきには、勇ましくて力強くも、確かな品格があった。
 ダルコの受け取り方にも、相手に合わせた品格がある。そこには、この二人にしか分からないような、作法のようなものを感じた。

「相変わらずの人嫌いか……大自然が家の一部ってのもいいが不便じゃねえのか」
 スコットがさっそくお茶を飲みながら聞いた。
「街の方が不便だ。大声で歌えねえ。剣の稽古もできねえ」
「なるほどな。そんなお前を引っ張り出しに来た。凄いメンバーを集めてきたぞ」
 スコットが早速切り出した。
 彼はヤマトという国を捨てたのだろうか。
 都市開拓が急速に進む中で、この古風な山とサムライのような人物。
 まさに当国の戦国時代を思わせる。
 剣の道を極めようとしている人は現代でもいるが、彼のように近代文明を否定するかのように、こんな山の中に1人で住んでいるというのは何故だ。
 しかし、あたかもそれが自然であるような錯覚さえ思えてしまうほどに、彼の行動は様になっている。

「お前の声が、このバンドにはどうしても必要だ。約束通り、お前が納得できるようなメンバーを連れてきたよ」
「なら、俺の心を満たすような音楽を聴かせてみろ」

 なんだこの態度は……。無性に頭に来る。

「よし、じゃあバンドリーダーのキアヌの歌を聴いてくれ。こいつは、俺が見込んだ作曲の天才だ。ギターだ」

 オレの事を褒めてくれたのは嬉しいが、それ以上に、あの耳効きのスコットが、オレと年も変らぬような若僧に、一方的に高飛車に出られても言い返さず、ご機嫌伺いしていることに無性に腹が立つ。
 そんなオレの視線を見て彼は言った。

「よお、歌ってみろよ、その汚い声で」
「汚い声だとぉ」
 オレは大鷹と真っ向から睨み合った。
"なんだその目は"
 大鷹の目から言葉が聞こえた。こんなにまでもハッキリと。最初からオレが彼を嫌っていたことを、相手も見抜いている。
 鋭い目、挑発的な微笑、抑えきれない怒りに、火をつけられた。
「このヤロオ……!」
 オレが放ったパンチを、大鷹は目にも止まらぬ動きで交わす。
「キアヌぅ! ヤメロ!」
 アドルフが止めに入ったが、スコットがその手を止めた。
 怒りが収まらねえときは殴り合うのがオレの流儀だ。奴もそれを望んでいる。男がここまでプライドを傷つける発言をされた以上、黙っておく筋合いはない。
 しかし、そのパンチが全くあたらない。
 それならと変則モーションで放ったオレのパンチは頬を捉え、大鷹は身体ごと吹っ飛んだ。許してやろうか……優男だけに打たれ弱いかと思った瞬間、大鷹は頬を腕で拭いてニヤリと笑うや稲妻のように痛いパンチが頬を突き刺した。
 次いでみぞおちを抉る膝蹴り、回し蹴りがガードした腕ごと側頭部を捉え、オレはひっくり返った。
「少しはケンカも出来るようだな」
 その見下した視線で分かった。コイツ、プロだ。
 さっきはワザとオレのパンチに当たったんだ。まるで試すように。
そのことが余計にプライドを傷つけた。このままズタボロになるまで殴られてみようかと思った矢先、停戦カードが投げられた。

「こいつを持っていけ、俺のライブだ」

 大鷹からの停戦カード、それはライブのチケットだった。

「分かったよ、あんたの凄い声とやらを聞かせてもらおう。
その鼻っ柱を叩き折るのはその後だ。スコット、先にホテルに帰っておくよ」
 オレは一人、山道を降りていった。これ以上この場にいると、またケンカをしてしまいそうだからだ。


  *                 *


 その夜のホテル

「あいつの態度は確かにワタシも気に食ぅわない。キアヌぅと年も変わらないだろうぅ?
 なのにあの見下した態度は何だ? スコットには悪ぅいが、ワタシもあいつのヴォーカルでドラムを叩くぅ気はシナイナ。キアヌぅがやらなきゃワタシが殴りかかったかも知れない」
 アドルフがソファにストンと勢いよく座った。
 オレをかばってくれたことがやけに嬉しかった。カオラックの酒場ではオレを殴った喧嘩っ早いところが、この時は味方した。
「そこなんだよ、まるで自分がバンドのすべての権限を握っているような態度が気に入らねえ。確かにヴォーカルはバンドの核だが、採用すると決まったわけでもねえ。あいつはいわば、オレたちにオーディションを受けている状況なんだ」

「ちょっと待てよキアヌ、私はあいつが悪いやつだと思えない。
 それに音楽と態度は関係ないだろう。肝心なのは音だ。
 あいつの態度や言葉遣いは確かに生意気だが、筋が通っている。
 名を名乗れという前に自分から名を名乗る。
 音楽を聴かせろという前に、自分から音楽を聴かせに来た。
 武士道精神に乗っ取っている。お茶もうまかったじゃないか。
 あれは茶道に則って最も礼を尽くしたお出迎えだ」

「茶道……何だそれ」

「その昔、戦国武将たちによって普及した。
これでもヤマトの古武道や茶道にはちょっと詳しくてな。その考え方には、私も精神を鍛えられたものだ。ヤマトの武士道、剣道は世界で最も優れていると私は思うよ」
 ダルコのその言葉が俺を冷静にした。
 あまり注意して見ていなかった大鷹の手つきが、脳裏にリプレイされた。
 矢継ぎ早に、スコットが言った。
「キアヌ、お前はシンガーソングライターとしても、やっていけるかもしれない。本当は自分がヴォーカルをやりたいんじゃないのか」
「オレが……」
 それが、よけいに自分のイライラを増幅させていた。
 そうだったんだ。オレは今までアドルフの前で、ダルコの前で常に自分でギターを弾いて歌ってきた。
 考えてもみなかった。
 シンガーソングライターとしての血が、この旅で芽生えつつあった。頭の中を記憶が、そして我が歌声が駆け巡る。
「スコット……その通りだ。だから大鷹に徴発された時に、無性に腹が立った。プライドを踏みにじられた気になったんだ……」
「その気持ちはワタシも分かるぅよ……ワタシはカオラックで、お前と対決したとき、お前の歌についていきたいと思ったんだ。アイツに付いて行きたいと思ったわけじゃない」
 アドルフが言った。
「だめだ。あいつの声にかなう奴はいない。俺たちが目指すロックは妥協しない、ヘビーメタルだ。まあ、お前にもあいつが言った言葉の意味が、わかる時が来る」
 スコットの目が、いつになく思いつめて見える。
 あんな優男にスコットは惚れ込んでいるように見えて、オレは怒りと寂しさを駆り立てられた。そんな自分の心を真っ直ぐ見つめて初めて、オレは大鷹に嫉妬している事に気付いた。

 いけすかねえ、どうしてもあいつとロックをやりたくはない。

 あの薄っぺらい胸板で、どんな声が出るというんだ。
 この耳は、やはり人種差別をしているのかもしれない。それを否定はしない。
 ただし全ては、音楽として見た場合の区別であり差別だ。
 ヤマト人に、ろくなロック歌手はいない。
 パワーとキーの幅を必要とする楽曲が多いヘビーメタルの中で、まるでヤマト文化を象徴するようなサムライスタイルの、しかも優男がどうやって歌うというんだ。
 ビッグフットの方が、まだマシだ。
 同じように前かがみにソファに座ったアドルフが、同じ思いをオレの視線に送り込んでいた。今回ばかりは失敗のようだ。
 そんな俺のイライラを察知してか、スコットも落ち着かない時のクセで、タバコの火をつけると部屋を出て行った。
 それらを見計らってアドルフが言った。

「あいつをお前の歌声で、蹴落してやれ、それが今回の旅の目標だとワタシは読んだ。これはお前を正式ヴォーカルに採用するぅための戦いだ」
「オレもそんな気になってきたよ」
 ダルコはそんなオレたちを、静かに見つめていた。
 彼を同調させることは出来なかった。
 石のように、山のように固く重い精神って感じだ。トランクからウォッカのボトルを出した彼は、ヒートアップしたオレとアドルフにインターバルでも入れるように言った。

「飲むか?」






 次の日、一日かかってオレたちは、熊本から福岡の高速バスを使って、その日の夜、クレイジーヴォイスというライブハウスに入った。
「聴かせてもらおうじゃねえか、角魔大鷹」

 チケットがプロ並みに高い。
 それでも客の行列だ。
 ヤマト語が読めないオレは、スコットに聞いた。

「奇跡の歌声、幻の歌声がよみがえると書いてある」

 通訳してくれたのはダルコだった。
「どういうぅことだ……」
 バイク音がバチバチとアスファルトに叩きつけて、ゾロゾロとライダースを身にまとった男たちが入ってくる。
 バンドマンの匂いがする。
 クレイジーヴォイスにはギャルより圧倒的に男が多い。右も左も男ばかりだ。時折目にするギャルは、目つきは鋭いが美人が多い。
 暴走族みたいな服装をした目つきの鋭い奴らは、オレと同じ匂いがする。
 こいつらもきっとケンカばかりしているんだろうか。
 ライブハウスは開場と同時に、満員になった。

 全てのノイズが静まり返った時、パイプオルガンの幻想曲が流れ、いきなりギターが鳴り響いた。
 中央に立つ大鷹。スタンドマイクから1メートルも離れている。
「あんな位置から歌うのか!」
 同じセリフをアドルフとダルコも言った。
 いよいよ歌が始まりに近付いていく匂いのフレーズだ。

 歌ってみやがれ……角魔大鷹!




INFINIA


 遠くに在るから追い駆けられる
 そう、手に取れるものはもう、いらない

 あの星さえもこの手に取れば そう、
 飢えた心が化石に変える

 生まれた時から死の秒読みを
 数えられ 夢に近づくため時は流れ

 朝が来れば夜をめざして
 夜が来れば朝の訪れ祈る OH!

  つかのまの命 賭けても
  あの宇宙(そら)を手に取りたいから

   AH INFINIA DREAM
   燃え上がれ STARDUST STAGE

  心を叫ぶそのとき
  無限の夜が訪れる

   AH INFINIA DREAM
   突き抜ける MAGNUM BEAT

  愛するおまえのすべて
  抱きしめて遙か彼方まで

   AH INFINIA DREAM
   離さない DREAME AND LOVE

   INFINIA DREAM
   燃え尽きれ 宇宙(そら)の果てで





 奇跡だ。

 鼓動の高鳴りが抑え切れない。
 オレは気絶しそうになって胸を押さえた。
「すげえ……」
「男の声でも……女の声でもない……獣の声だ」
 ポツリとつぶやいたダルコ。
 野性的だが、官能的、しかし女の声ではない……。
 恐怖すら煽られる第三の性の声……
 一流のソプラノ歌手並のキーによる昇天シャウトに鳥肌が立ち、意識が耳から消され掛かる。しかも女性ソプラノ歌手にありがちな言葉の聞き取りにくさがなく、声は太くハッキリ聞こえる。
 男にしか出せない声色のハスキーなシャウトは獣の雄叫び。
 まさに、この世の者とは思えぬ……神の声。

 角魔大鷹……なんという男だ。

 勇気が沸き、そして悲しみにうちひしがれ、曲が変わるごとに、オレの心は操られ、魔のライブが終わったとき、頬からは、とめどなく涙が流れていた。

 もう、何もいらない……。

 凄まじいヴォーカル。
 この瞬間に、それまで抱いていた角魔大鷹という男への憤りや不満、嫌悪感は、見事に粉砕された。そんなちっぽけなものはどうでもいい。

 角魔大鷹こそが、このメンバーには欲しい。

 気絶していたアドルフはノックアウトされて昇天したボクサーの目で起き上がり、オレと視線が重なった。
「何が起こったっていうぅんだ……キアヌぅ……」
「奇跡の始まりだ……」
 大鷹もまた俺と同じく作詞、作曲をする。
 ロックにクラシックをより多く取り入れて、融合させている。
 その楽曲も彼の歌声の神秘的な雰囲気を生かして申し分ない。
 細やかな音の使い方や、アレンジ力はオレよりも上かもしれない。
 まるでオペラを見ているような雰囲気からロックに移る豪胆さと迫力はオレが今まで書いたことのないタイプの曲だった。

 ライブが終わった……。向こうで見知らぬ女性が担がれている。失神者だ。
 感情の高まりを抑えられなかったらしい。
 大鷹は彼女たちに水をやり、丁寧に介抱している。すぐに意識を取り戻した彼女たちを見送ると、彼はようやくオレたちの方へ歩いてきた。

 4人の誰よりも、あのダルコが真っ先に握手を求め、2人はガッシリと手を握りあった。二人はヤマト語で会話をしているためオレには分からない。
 あの2人には、共通点があることを、オレはにわかに感じていた。

 このまま2人は、飲みにでも行きそうな雰囲気だ。
 大鷹とダルコがオレを見ながら、何やら話している。そして大鷹が手を振ってダルコから離れると、オレの方へ歩み寄ってきた。

「キアヌ、俺と飲みにいかないか」
「オレと……?」
 ライブが終わった後のアーティストは皆、清々しい顔をしているのは彼も同じだ。
 その顔の角度ごとに芸術的な表情を操る彼は、時に魔王に、そして時に絶世の美少女の面影を匂わす。会話にさえも、頭が回らない。ライブが終わって気がつけば一時間たっている。
 それでもあの声は、脳裏に焼き鏝を押されたまま離れない。

「おい、行かねえのか」
「……オレでいいのか。ダルコは……」
「今夜はお前と2人で飲みたい。俺の行きつけの店に来いよ」
 後でダルコも頷いている。
「分かった、行こう」
「ちょっとまて、エモバンド巻いてるじゃないか!」
「ああ、昨日スコットに借りた。返しといてくれ」
 大鷹はそのベルトを外すとオレに渡した。数値を見た瞬間、血の気が引いた。

 995……!

 ありえねえ……。


        *             *


 幻想的なダンスが繰り返される。
 ダンサーは美人ばかりだ。そして何よりも踊りが見事だ。
 しなやかに差し伸べられた指先、潤んだ瞳、脚線美にオレの目は釘付けになった。東洋の神秘としか言いようがない。
 ヤマト語が読めないオレは、そこがどういうお店かわからない。
 ステージのショーを見ながら、客席はパーティー会場で、ゆっくりお酒が飲める。
 大鷹がステージを見ながらつぶやいた。
「あいつら昔は男だったなんて信じられねえなあ」
「え……まさかニューハーフの店かよ? 気持ち悪いぜ!」
 オレはゾッとして立ち上がった。今まで彼女たちを女と思い込んで、男なら誰でも考えそうな妄想にゾクゾクしていたからだ。
「へっ、いかしてるじゃねえか、あのケツなんかよ。俺はムラムラしてくるぜ」
「まぁ確かにそうだけどよぉ……お前なあ、変態かアブノーマルか?!」
 この時、大鷹の大きな目がギロリとこっちを睨んだ。
「お前は黒人を差別するか?」
「いや……しないよ、オレたちと違うのは肌の色だけだ」
「なら何故あいつらを差別する。昔男だったからか」
「えっと……いや……まあ、そうだよな……」
 オレは座ってもう一度ステージを見た。
「あいつらは女だぜ。女より女らしい」
 大鷹はウェイトレスを呼び止め、お酒を注文している。確かに、男と思わなければ、見とれるばかりの美人だ。向こうで親しそうに手を挙げる男がいる。
 何やら大鷹の友達らしい。黒髪もオールバックにして目つきも鋭いイケメン風の男でアゴヒゲがよく似合う。
 二人はゲラゲラ笑いながら何か熱中して話している。

「俺の友達だ、こいつは昔女だった」
「お、女……、よろしくな」
 オレは手を差し出した。
 頭の中は混乱していたが、大鷹の言葉がオレの中にあった何かを変えた。彼は親しみを込めた目で、手を握り返し微笑んだ。
 大鷹の英訳で、オレは2人にレナードにいたころの話や、メンバーとあって今に至るまでの話をした。さっきの、呼び止めた美人ニューハーフが隣りに座ってお酒を注いだ。

 いや、ニューハーフという言い方も差別なんだよな……女だ。

 しかし冷静に見れば他の誰よりも、この角魔大鷹は際立って美しい。
 しかしそんな雰囲気を感じさせないのは、彼の行動があまりにも男っぽいからだ。
 あのスコットが見込んだヴォーカル。
 この四人の中で、誰よりも華がある。
 何度も腹の中でオレは唸った。
 アドルフと計画した挑戦状はオレ自身の手で破り捨てられた。
 それはオレ自身が、完璧主義者だからかも知れない。



 深夜二時、大鷹は車のキーを回した。
 オレをホテルに送るため、お酒は飲んでいなかったらしい。
 オトナっぽく、気遣いもあり意外と優しいところは、恐らくウィン少時代から舞台で鍛えられたモノだろう。ハンドルを切りながら何やら携帯で話している。
 日本語だからサッパリ分からないがドウジョウという響きが頻繁に聞き受けられる。
 後で聞いてみたら道場に暴力団が殴り込んできたという。
 レナードで言うマフィアみたいなもので良くあることらしい。
「大丈夫なのか。警察に通報した方がいいんじゃないのか」
「警察は、あてにならねえ」
「おまえ、道場の師範だろ。戻らなくていいのか」
「郷原って部下に経営・護衛、全て任せてある。角魔道場では最強剣士が後を引く継ぐしきたりがあってな。
 俺の任務は経営チェックと、腕の立つ道場破りが来た時の撃退だ。
日本よりもむしろ世界から来る奴が多い。
 まあ今は、俺が戻った方が騒ぎが大きくなる」
 オレにはピンと来た。
「まさかAudiokillarの機密を狙うレナードの手先って事か」
「間違いないだろう」

 やっぱりそういうことか……どうやらいつ銃弾がこのフロントガラスを突き破っても不思議はないっていうことだな。

 真っ暗な前方と、ライトが映しだす曲がりくねったアスファルト、杉のガードレール。革ジャンの胸元に手を入れ、護身用の銃を持っていなかったことを後悔した瞬間、アクセルでオレは背中をシートに打ち付けた。

「キアヌ、狙われているようだ。悪いな」
「いいって事よ」
 無理してそう言ったら、大鷹が微笑んだ。性を越えた美貌……それはオレを魅了させた一瞬だった。バックミラーに後部から猛烈な勢いで突っこんでくる車が光る。
 銃声が後部ガラスを撃ち抜いた瞬間、血の気が引いた。
 まるで全身の血が額から座席に流れ落ちるように。

「藪の中に隠れる、伏せろ」

 カーライトを消すや、大鷹のハンドルが舵のように回転し、車は雑木林に突っ込んだ。フロントガラスがバリバリ砕ける音がして無数の枝や葉っぱが座席に吹きつけられる。
 銃声が響いた。

「いいか、この車から出るな」

 暴走する車が雑木林のクッションに止められ、大鷹は後部座席からヤマト刀を抜いて、壊れたフロントガラスから座席を飛び出した。
 すでにドアは歪んで開かない。オレは座席に伏せた。
 生きて帰られるだろうか。
 マフィアとやり合った事はあるが今回は相手がレナード兵だ。
 嵐が取り過ぎるまで待つべきではない。オレは隙を窺った。

 刃物のかち合う音と断末魔が耳を襲った。
 闇の中に殺気が響く。
 何人いるのだろうか、その声は数十人はいるように聞こえる。

 そしてまた断末魔が響いた。

 その声が響くたびに、心の中で大鷹に声援を送った。
 足音がこの車に近づいてくる。どうやらオレもやるしかねえ。
 武器らしい武器はと探したとき、大鷹が置いていった刀の鞘があった。

 レナード兵がフロントガラスをたたき壊した瞬間、刀の鞘で相手の喉を突いた。
 そのまま車を飛び出し、気を失いかけたレナード兵の頭を渾身の力を込めたたき割った。腰にぶら下げた拳銃を奪う。

 これで戦える!

 その時、近くで断末魔が聞こえた。
「伏せろ!」
 その瞬間、銃声が響いた。
 大鷹は木の陰に隠れながら、隙をみては飛び出し、この林を盾に戦っている。
 オレは車の陰に隠れ、押し寄せてくるレナード兵五人をまとめ撃ちした。しかし、リボルバー式の銃弾はもう、一発しか残っていない。
 背後に気配を感じ、振り向き様に撃った。
 眉間に風穴を開けられた男が、悲しそうな瞳で倒れた。
 その男の銃を再び奪う。

 もう何人目の断末魔を聞いただろう。

 オレは撃つ。

 大鷹は斬る。

 敵と思われる男たちの断末魔を聞くたびに歓喜に満ちた。
 いつのまにか外が白み始めていた。
 人影はついに消えた。

「キアヌ、大丈夫か」
 車の陰から少し体を持ち上げると、返り血を頬に流した大鷹がいた。
「よお、大丈夫だ。お前も無事で良かったよ。まさかお前がこれほどの剣豪だったとは思わなかったよ」

「お前の射撃も見事だった」
 朝陽を背に大鷹が木々の狭間から顔を見せた。
 奴のその目は、初めてオレを男として認めたような、そんな目だった。
 その身体のラインはとても細く華奢だが、腕と脚は逞しく、そのバランスはムダな肉をそぎ落としたように美しい。
 この角魔大鷹なら、あの数十人の軍隊を斬り倒しても頷ける。

「ホテルに帰るか」
「オレが運転するよ。酔いもさめたしな」

 運転席に乗り、大鷹は窓が開かない助手席の割れたガラス窓に、かなり長い片脚を入れ、もう片脚を曲げ、ネコのような柔らかさでスルリと着席した。車をバックさせ、外を見た。数え切れない兵士が死んでいる。
 目を剥きだしたまま上を向いてるが、青白い顔色は死んでいると一目で分かる。
 大きくハンドルを切れば、太陽が振り向き車の中は光に満ちた。

「信じられないよ、今こうして生きていることが。おまえの剣は凄いな。そして戦闘経験があるんだな。でなければこんなに落ち着いているわけがない」
 大鷹はシートにもたれたまま、車内に入りこむ朝陽に目を細めた。

「まあな。俺は命を狙われている。ケビンもな」

 レナード政府の強大な闇の力がうごめいていることを、オレはハッキリ感じ取った。
「おまえとオーディオキラーとスコットは関係があるんだな」
「俺とケビンは殺されたことになってる。レノン島でな」
 彼はまるで、人ごとのように一笑する。

「……お前の声には脱帽したよ。ケビンが見込んだだけのことはある。あの高さは普通じゃない。ソプラノ以上の周波数だ」
 大鷹の目がオレを睨んだ。
「俺のこの声には、裏付けされたものがあるんだよ……誰にも負ける訳がねえ。負ける訳にはいかねえんだ。……ケビンは俺の体のことを何か話さなかったか」
「いや……どうかしたのか」
「ならいい」
「なんだよ、お前、体が悪いのか」

「何でもねえよ。二度と聞くな……」

 大鷹の目を闇が支配した。
 いや、面倒くさいものに、フタをするようにも見えた。
 ハンドルをきりながら、アゴのかゆみに左の五本の指をあて掻きむしる。
 汗と脂と返り血が混じったかゆみがやけに不愉快で力が入ったが、ヒリヒリしてきたので、あごを擦った。
 二日も放置したら伸びてきた髭がチカチカするもんだ。大鷹もまた同じような思いをしてるんじゃないかと、その顔を見てみた。

 白すぎるアゴと口元。
 髭がねえ……何故だ?
 流石に疲れた青白い肌。
 オレはその時、彼の白い首筋にも違和感を感じていた。
 とてもなだらか、喉仏らしきものがない……。

 大鷹は血に染まった刀の刃先を見た。
 その光は紛れもなく、この上なく純粋なものだった。青白い肌とはアンバランスな目のギラつきは、余計に際だって、恐ろしさをも漂わせている。
「俺を救ったのはこの白い刃だよ」
「武士道ってやつか……武士道にはそんなに魅力があるのか」
「ある」
 その瞳の奥に、剣の刃先が見えた。
「だがある日、気がついたよ。本当に強い奴は強くなる必要もないんだってな」
「ダルコも、同じ事を言っていた。
 ……オレもケンカはしたが命の取り合いはやったことねえよ。ケンカにもルールは必要だって、ダチには言ってきたからな」
 大鷹がダルコの名に敏感に反応する癖も、オレには合言葉のようになっていた。
「昨日よお、あの店に連れて行ったのは、お前がどのぐらい本物を見ることをできるか、試したかったのさ」
「ああ、今なら分かるさ……」
「心と身体の不一致と、あいつらはまともにぶつかって、周囲の目も気にせず堂々と生きている。あいつら大したもんだよ……」
「そうだな。オレは狭かったって、今は思うよ」

 いつのまにか大鷹は目を閉じていた。
 無理もない。ライブの後は戦闘だからな。
 眠り始めた大鷹。
 その容姿は確かに女性以上に美しい。
 いや彼以上に美しい人間を見たことがない。しかしその目には、男にしかないギラギラしたものがある。オレはもう、彼と音楽人生を共にするしかないと思った。
 彼をバンドに率いるのではなく、オレがずっと彼に着いていこうとさえ。


  *             *


「スコット、大鷹が気になることを言っていた。あいつの身体には何か秘密があるのか」
 2人しかいないホテルの一室。スコットは何も説明せずに、立ち上がった。その目には彼でさえ隠し切れぬ疚しさ、氷山の一角がちらついた気がした。

「あいつが何かお前に言ったのか」
「いいや……聞いていないならいいって。二度と聞くなってよ」

 スコットは黙って椅子に座りタバコに火をつけた。
 オレはポケットからラークを取りだしてその火を借りた。
 ドアが開いた。
「よお、行くか。よろしくな」
 爽やかに映った大鷹の笑顔。
 鋭い目は獲物を狙うタカの目だ。その視界にいる獲物が、オレにもハッキリと見えた。俺達はタダのロックバンドじゃねえ。戦うことを余儀なくされた、戦闘部隊なんだ。そしてオレは今改めて気付いた。
 このメンバーはみな戦士としての能力が高いことを。

「大鷹、お前はキアヌの音楽を聴いたのか」
「そいつが気に入った。昨日一晩、命を共にした。それで十分だ」
 オレは、彼の腕をガッシリ握って握手したあと、その背中を抱き締めた。戦い終えた格闘家同士が抱き合うように。
「よろしくな、大鷹。お前は最高のボーカリストだよ。そして俺の友だ……」
 大鷹に突き飛ばされた。
「苦手だぜ、レナード人のスキンシップってのは」
 抱きしめた感触とラインの細さは、女と錯覚する。
 故郷に残してきた、キャサリンを連想させるほど。しかしその目に宿る魔性、剣に取憑かれた輝きは、何処までも恐れを知らぬ剣客のものだった。

「これで集るべきメンバーが揃った。準備完了だな」
 スコットの野望に満ちた目が、この長い旅で最高の光を放った。
 全てはこの男の目論み通りになっちまった。

 それにしても……

 角魔大鷹……凄いヤツだ。





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