第二章 ベルクート允
Russian berkut Joe
―鷲を主人と思え。お前は王に仕える軍師のごとく振る舞え。そうすれば必ずや王はお前に褒美をもたらすだろう―
少年の心に祖父の言葉が駆け抜ける。
キルギスの切り立つ断崖、側面に生える深緑の針葉樹、その狭間の高原を見下ろし滑空するイヌワシの目は谷を駆け下りるシカに狙いを定めたようだ。得意の急降下が始まる。その飛翔速度は水平飛行は60kmと推測されているが、急降下になると350kmとも言われる。
シカは上空の敵に気がついて駈けだした。
「いけーっ!ジョー」
天から落ちる褐色の翼、かぎ爪が大きく開いた次の瞬間、シカの頭が鷲掴みにされる。首を振り回し、飛び跳ねては駆け回り大暴れするシカ。イヌワシは羽ばたきながら獲物が疲れるのを待つ。ハンター達が駆け付けてきた。あとは彼らの仕事である。弱り切ったオオシカに銃弾を撃ち込み、狩りは終わった。
「よくやった、ジョー」
舞い降りるイヌワシを腕に留まらせ少年は得意げに仲間達を見た。狩猟仲間たちはイヌワシと少年の手柄をたたえる。少年の名はムラトベック、祖父カリモフの技術を受け継いだ若き鷹匠である。背後に切り立つ天山山脈をも駆け上るような笑い声がこだまする。
キルギス共和国、カザフスタンと中国に挟まれるように位置する、日本の半分ほどの面積を持つこの国ではイヌワシを使った狩猟が昔から行われていた。
キルギスの歴史は15世紀後半、キルギス民族の形成によって始まったとも言えるが、それ以前も以後もこの大地は常に他国からの侵略、崩壊と結成、分裂を繰り返してきた。
一口にキルギス人といっても千差万別で、旧ソ連の政策により移住させられてきたロシア人や朝鮮人、また南部のウズベク人なども多数、彼ら全ての総称としてキルギス人というが、正統派キルギス人とは遥か昔からこの地に住んでいる騎馬民族である。
中国との国境地帯をカクシャール(天山)山脈が阻み、北部のビシュケクと南部オシュ周辺以外は、国土の大半を標高3000mを越す高山や山地が占め、この地形が獲物を多くはぐくみ、イヌワシを使った狩りにも適しているわけだ。
南北の地域差があり、ビシュケクを中心とした北部ではロシア人の割合が高く、またキルギス人のロシア化もかなり進んでいるのに対し、南部のフェルナガ盆地に隣接する地域はイスラム色が濃厚で、血縁の結びつきが強い。全般的に保守的な土地柄といえる。そしてこの南部には正統派キルギス人の昔からの文化を受け継ぐ地方も残っている。
ムラトベックも、この伝統のキルギス魂を受け継ぐ南部に好んで住む少年だ。
彼が狩りを共にするワシの名は允、オスの3歳、狩りの腕前も、部落ではトップクラスで獲物をしとめたときはガッ、ガッ、と威張って鳴いた。允という日本名は飼い主のムラトベックがつけた。祖父はキルギスがロシア領時代、日露戦争で捕虜となりその後釈放され日本に在住する。
キルギスでイヌワシによる狩りをしていた彼は日本でも鷹狩りに惹かれ諏訪流という日本の流派を重んじそこに師事した。
日本の鷹狩りでよく使われるのはオオタカ、クマタカ。イヌワシは大型で気性も激しく、仕込むのが難しいため滅多に使われない。しかしキルギスの遊牧民はイヌワシを飼い慣らし、狩りにも使う。
祖父カリモフはキルギスに帰国後、この古来の伝統を守り続けていこうと、ムラトベックが幼少の頃よりタカに触れさせその魅力を教えた。好奇心旺盛な少年時代、ましてやそれが人一倍のムラトベックはカリモフの思惑通り、その道を行くことを決意した。両親の反対を押し切り祖父と共に暮らすようになって早五年の18歳、今日もワシの訓練に励んでいる。
そしてその日の夕食 ムラトベックはカリモフと二人きりで食事をしていた。
「また若いイヌワシを捕まえたよ、体も大きい、いいハンターになりそうだ。さっそく拒食が始まったよ」
ムラトベックはインド系の顔立ちで肌は薄い褐色で目がパッチリと大きく、美少年ではあるがそんな雰囲気を感じさせないほど素朴で野性味があふれ出ていた。カリモフも同じく目鼻立ちがキリッとしている。ワシの話になると二人は止まらない。
クムス(馬乳酒)を飲みながら、いつまでという節目もなく、眠くなってどちらかが先につぶれるまで談義は続く。
ロシア化が進むキルギス北部や南部都心ではアイスクリームやビール、ウォッカを片手にリッチな気分に浸っている若者が多い中、ムラトベックは野生児のようにクムスを飲み、キルギス人元来の風習を好んだ。
「いいか、ワシが主人だ。根気強くやるんだぞ。最初から肉を手に持って突き出すな」
「そんな初歩的な間違いはもうしないよ、いつまでも子供扱いしないでくれ」
「ハッハハ、お前はいつまでたっても子供じゃ。儂からみればなあ」
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