オ ー デ ィ オ キ ラ ー
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 第一部 蒼き炎 〜キアヌ・クルーガー編

 第一章 モルジブの海は燃える



 カウントダウンが終わり、大空に黒い指が動いた。
 青い空が白く光った瞬間、街は赤い炎に包まれた。 ギターを抱いた俺は、抗う術もなく灼熱の空気に包まれ、 焦げた皮膚は燃え始めた。
 目の前の光景も見えぬまま、人々の叫声も焼けただれる耳が塞いでいく。

 オレの命がココで終わるのかよ……助けてくれ……。
 せめてもう1度、あの歌を歌わせてくれ……
 この指がちぎれ飛ぶまでロック、ロックを!

 *             *

 夢か……。 またかよ。本当に嫌な夢だぜ。バカだぜ。
 夢だよ、単なる夢。
 少なくとも俺の住むレナードがこんな目に遭う訳がない……。
 もっと楽しいことを考えっか……。

 オレにはロックがあるんだ。 そして今は空前のロックブーム、オレの未来にはロックスターの道が待っているんだ。
 ふと左手の窓を見下ろせば、柔らかな雲の切れ間にのぞく青いコバルトが、 オレの胸を躍らせた。ギターを弾きたくなって、指が座席の肘掛けをはじく。
 この美しい景色も、耳に飛び込む全ての音も、そしてこの命も、 全てはオレがロックをやるためにあるんだ。

「やっと目が覚めたか」

 右の鼓膜をゆする太い声の方を振り向いた。
 父の名は、カルビン・クルーガー。 オレは黒髪だが父の髪はグレー。光沢のある銀髪が薄っぺらく、 頭の上に弓なりにかぶっている。しかし、肌のつやは、息子の目から 見ても年よりずっと若く見える。そして深い彫りの奥に埋め込まれた 目は、更にその年を若く見せる精気に漲っている。

「いい若いもんが、私を差し置いて居眠りとはどういうことだ」

「この1週間ライブで一日しか眠っていなかったからさ……
 最近あちこちのライブハウスから呼ばれてさ、断れないし。俺はまだいいけどヴォーカルのマトスは大変さ。 ノドから血へど出してでもあいつは歌うんだ」

「またか……。言っておくが私も1週間ろくに眠っていない。30カ所で演説をやったがマトスより声は枯れないぞ。 発声法がなっていないから血へどが出るんだ」

「へへ、負けたよ、やっぱりさすがは父さんだ」

「それともうひとつ、私の前でロックの話はするなと言ったはずだ」

「覚えてる……でも、分かってほしいんだよ」

「それでその悪趣味な長い髪か? お前は外見だけで中身が伴っていない」
「誰だって、最初から巧かった訳じゃないさ……それにオレはもっと巧くなる」

「今を見てものを言ったらどうだ。少しばかり巧いぐらいで思い上がるな。 ロックで身を立てる事がどれだけ厳しいか、お前は分かっているのか」

 後ろの席にいる母の表情までもが想像できるほど気まずい雰囲気に なってしまった。父と二人ならケンカになったかも知れないが、 母の存在が父とオレをためらわせた。
「銃の才能は認めるがギターの才能はその半分以下だ」

 ボディーブローのような言葉が俺の胸を抉った。銃は嫌いだ。議員の息子、身を守るため仕方なく覚えた。何でオレがムカつく言い方をするんだ。父の目は、ちょっと言い過ぎたかなと戸惑っているのはすぐわかった。
 だけど……

 中学になったばかりの頃、当世のギターの神様といわれた、エリック・ジャクソンのモデルでプレミア物のエレキギターを買ってくれたのも父だった。ウラにはEJのシンプルなサインが入っている。
 皮肉にも父の中では趣味として見られていた音楽が、オレの中では夢に変わっていた。いつかロックスターになって……。そんな思いが強くなっていくにつれて、衝突も多くなった。好きな音楽に没頭できたのも父のおかげだった。

 その父から、もうお遊びは終わりだと言われたことは、クギを刺されたように、 オレの心に深く突き刺さった。
 冗談じゃねえよ……今からが始まりだってえのに。
「海を楽しみましょう、あの色を眺めていると雲の上から飛び込みたくなったわ」
 後部座席の母の声がイライラしたオレの耳に無理矢理ねじ込まれた。
「私、ビキニを買ってきたのよ。似合うかしら……
ウエストがねえ……68になっちゃったの。ショックだわ。ヤマトに行ってスモウでも取ろうかって悩んでるところよ。もう年かしら」

 脳天気な母の言葉にしらけ笑いが出てきた。
「大丈夫だよ。オレのお姉さん? って友達から言われることもよくあるからさ」

「そうだ、母さんはレナード1の美人だからな」
 オレと父の対立ムードを、母のはしゃいだ声が吹き飛ばした。少し得意気に笑った父。気まずい雲行きを、突風が吹き飛ばすように、オレたち家族三人は笑った。





 モルジブの青すぎる海の色に吸い込まれた。
 サンゴ礁、名前も知らないオレンジのきらびやかな魚。
 学校の図書室で見たぞ、確かあれはチョウチョウオだ。

 ダイバーの素人でもあるオレたち三人は、ベテランの インストラクターに案内されながら、少しずつ深く潜っていく。1メートル深く潜るごとに、海の色がアメジストブルーから サファイアに変化していく。
 この静かな海の中でも、オレの頭に浮かんでくるメロディーはヘビーメタルロックだ。
 水深が深くなるとともに耳にかかる圧力が、エレキギターの ディストーションの幻聴を誘う。心はもう、海というステージの中に入った。

 曲が聴こえてくる。

 ギターの甘く切ないメロディー。
 そして静かにペースの重低音が入って魂を揺さぶる。それは背骨を突き抜け、その振動を海へと溶かしていくようだ。心拍数の高鳴りと共にドラムがビートを刻み始めた。

 曲が生まれた!

 日常生活のいつどんな瞬間でも、まるで音信のように何の前触れもなくオレの脳裏には完成された楽曲が流れてくる。
 このメロディーを忘れないうちに録音しておかなければ……。

 急げ!

 オレは父と母を残して、光を求め足をバタつかせる。 急に水圧が軽くなり、また耳が痛くなった。 どんどんこの目に白がいっぱいに強く近くなっていく。太陽の光が脳に射込んだ瞬間、曲はサビメロに入った。
 頭で海面を突き破ると必死で泳ぐ。このメロディーが頭の中から消えてしまわないうちに……。足がつき始めると、思うように動けない……!
 重苦しい酸素ボンベめ、あっち行け!
 歩くじゃまをするウェットスーツがやたらむかつく。
 えい! おりゃーっ! オレにまとわりつくな!
 バナナの皮剥きみたいに一気に脱ぎ捨てた。
 海パン一枚、 軽くなった体はスピードを増す。

 ああーっ、消えないでくれ、美しきメロディーよ!

「ジャンジャジャジャーン、ドドツタツタツタドドドド!」

「あのお兄ちゃんバカみたい」
 オレを指さして笑う男の子。いつものことだ。

 口ずさみながら、海岸にたどり着くと、EJのサインが入った ギターをとった。ギターで音をとる。 この音はミか……、次の音が、ソの#ってことはこの曲はハ長調じゃないのか、それとも、この部分だけ転調してるのか、どっちだ?

 五線符に何回も音符を書き直す。
 音楽が、その骨格を現し始める瞬間。
 オレは面倒くさくてややこしい楽譜をスラスラ書けるなんてエリートなガラじゃない。だが楽典の知識だけで頭がこり固まった奴らよりはよっぽどいい。アイツらは論理に頼って自分の耳で確かめようとしない。 だから曲がつまらないんだ。セオリーではダメだと言われていることでも、オレは自分の耳で 確かめる。
 100に一度の発見がある。だからオレは未知の海を さまようのだ。

 やっと曲を書きおわった。
 頭の中に浮かんだメロディーが五線符に形を変えて取り出された瞬間、オレは言いようのない充実感に浸った。何度も、ギターで弾いてみる。とてもいいメロディーだ。
「いいぞこれ! いいじゃねえか! イカすぜ、おい!」
 目を閉じて何度も、メロディーを確かめる。 ジャバジャバと波をかき分ける足音が近づいてくる。 目をあげたとき、そこには父が立っていた。
「お前……またいつもの病気か。父さんが買ってやったウエット スーツを海に投げ捨てるとは、どういうことだ。全部拾って来い!」
「あっ、ゴメン、分かったよ今すぐ……ん?!」
 オレを呼ぶ声に振り向かされた。聞き覚えのある声。
 オレンジのビキニを身にまとった金髪美女が黒いものを脇に抱え、波を蹴り分けて歩いてくる。
「キアヌー、またいつもの病気? 間に合ったの?」
「キャサリン!」
 あどけない少女の瞳にメリハリのある身体だけ、いつものセーラー 服と着せ替えたみたいだ。いつの間にこんなに大人になっていたんだろう。彼女が何を抱えているのかやっとわかった。オレが脱ぎ捨てた ウエットスーツと酸素ボンベだ。
女の子の腕には重いだろうに。



「おまえも来ていたのかよぉ」

「ええ、ここの海は世界一綺麗って有名だから、母さんにおねだりしたのよー」

 父から逃げ、波を蹴り跳ばした。一歩、また一歩と彼女の顔が、 体が大きくなってくる。酸素ボンベと、ウエットスーツを受け取った。
「あ、そうだ、この海で出来た曲、聴かせてやるよ」
「お父さんたちはいいの?」
「ちょうど救いの女神が欲しかったところさ」

 小声でキャサリンに相づちを打つと、可愛くてセクシーなアゴが 小刻みに二回うなずいた。
「父さーん、ちょっと彼女と行ってくるよ」
「ごめんなさーい、ちょっとだけキアヌをお借りしまーす」
 俺の手を引いて父に付け入るスキを与えず砂浜を駆け抜けるキャサリン。 ウエットスーツと酸素ボンベを車の中に投げ込むと、オレたちはギターを抱えて父から逃げた。

「ちょっとなんて言わずにゆっくりしておいで。 その方が母さんたちも楽しめるわ」  母が父に寄り添って、二人が笑顔なのを見て俺はほっとした。何か言い足りない父の笑顔は苦み走っていたが。



「あのイシアタマ、本当にウザイぜ」
「アラ、お父様をそんなふうに言っちゃダメよ。 カルビン・クルーガーは誰からも尊敬される偉大なる政治家だわ!」
「だからウザイんだよ! いつも回りから比べられる、 ダメな息子と陰口を叩かれる。あなたも父を見習ってと、 回りから言われる。でもな、オレの人生は、オレの人生なんだよ カッコ悪くても、ぶざまでも、ダメな男でもいい、 ロックがやれればいいんだよ……。  嫌いかよ、こんな偉大な政治家のバカ息子は!」
 海辺のカフェテラスでオレはキャサリンと見つめ合った。 カフェオレよりも艶やかに焼けた肌、唇を噛み、怒った瞳で 彼女はつぶやいた。
「好きよ……」
 ボツリと文句でもいうような口調で……。
「あなたはあなたでいいよ。お父様のコピー人間になる必要なんてない……」

 その一言でオレの心は鎮静剤を打たれた。そして初めて、 サービスたっぷりな彼女の水着を見る気になった。見なさいよ、とでも言いたげな彼女の目を、アイコンタクトで 確認しながら、思い切って胸元を見つめた。 顔を埋めてやろうかというくらいの目で。なのに、なんて堂々とした瞳で俺を見つめるんだろう。
 今まで女として見たことなんて、一度もなかったのに。 いや、わざとそうしていた。幼なじみという存在が、 大切と思うほど触れられないと勝手に線を引いていた。

「私はあなたの音楽が好きなんだから。 ブラックファイヤーは名曲だわ。あんなに素敵な曲が うちのハイスクールだけで終わってしまうなんて勿体ないわよ。 私は専門家じゃないけど、他のどんな音楽よりも、 あの曲が好きなの。絶対にプロデビューしてね」

 キャサリンは両胸を寄せるように肘をテーブルに着けて見せた。 俺は操り人形みたいにキャサリンの仕草に反応し、視線が重なった瞬間やっと話の本題に戻された。

「ああ、勿論だ。父さんには、今日もう一回話してみるさ」
「あきらめないでね。親に反対されたぐらいで諦めてしまうようじゃ、 この世界ではやっていけないと思うわ」
「有り難う……。力がわいてきた」
「泳ぎましょ」
 視線が目と胸に揺れる俺に背を向けてキャサリンは光る砂浜を駆けていく。


 *           *


 ギターを取り、オレは夕陽に染まる海に向かって爪弾いた。
 祭りの後の静かな海。父の足音を背中に聞いた。
 父の足音は蹴りが強く、間隔も早い。 振り向かなくてもすぐにわかる。子供のころから聞いてきた足音だ。

 そしてどんな表情かも分かる。

 困ったものだ……どうやれば音楽を諦めてくれるのか。 そして、自分の跡取りとして立派な政治家になってほしい。 ロックなんてガキのお遊びだ……
 そんな風に思っているに決まっている。でも、音楽だって政治だよ。レゲエやヒップホップ、R&Bとは違う。 ロックの神髄は、反抗なんだ。人々の思想を、 歌で変える事を命を張ってやってきたロッカーの魂にオレは惹かれたんだ。
 このセリフ、結構格好よくないか。
 こう言えば父も、少しはロックに対する考えが変わってくれるだろうか。
 頭の中ではいろんな言葉が浮かぶのに、なぜ本人の前ではうまく表現出来ないんだろうな……。なんて言えば……。

 言わなきゃいけない。

 でも、そう思えば思うほど、うまく言葉にできない。 言い出せずにズルズル、そしていつも言えずに終わってきた。伝えなきゃな……。よし、あと五数えて言うぞ。でなけれいつまでたっても話せない。よし、カウントダウンだ。  1,2,3,4,5

「父さん!」「キアヌ」

 振り向いたら、ピタリと、視線と言葉が重なった。
 父と一緒にオレも息をのんだ。
「なんだ、父さんに何か話があるのか」
「いや、父さんからでいいよ、俺に言いたいことがあるんだろ」
「お前からでいい。なんだ」
 また、ドキドキが始まった。せっかくカウントダウンしたのに、まとめた言葉がもうバラバラになってしまった。 言うしかない……言うんだ。巧く伝えるんだ……。
 オレは歌っていた。1番口にして伝えたい言葉が、歌になっていた。
 ギターを片手に、この海の中で生まれた曲を、コード弾きで力の限り歌った。父の目が赤くなっているように感じたのは、夕陽のせいだろうか。 オレの目もやけに熱いから赤いのだろうか。歌い終わった後、静かにギターを砂浜に置いた。

「父さんのことを、誇りに思ってるさ。誰からも尊敬される政治家さ。 だけどオレは、どうしてもロックをやりたいんだ!」
 じっと父と目を合わせた。どんな言葉が返ってくるんだろう。もう何回目だろう。だけど今日は、いつもと違う。
「私はお前を誇りには思えない。いま中東情勢は険悪化している。 いつ、第三次世界大戦が起きてもおかしくない。 そんな世界情勢を、お前は何とも思わないのか。 戦争を阻止しようとは思わないのか。世界はいつ滅びてもおかしくない」

 飛行機の中で見た夢が、オレの心に闇を落とした。 思春期の不安定な心にも似た、今の揺れ動く世界と自分が同化していた。世界は破滅に向かっている、そんな不安の闇をいつも吹き飛ばしてくれるのも父だった。しかし、父がどんなに頑張っても世界中で戦争は起きている。
「父さんが大統領になって戦争を阻止したとしても、この世界から戦争をなくすなんて不可能さ」 「じゃあロックで、人を幸せにできるか」
「出来るさ。誰かを勇気づけることだって出来るさ、ロックの精神は反抗なんだ。オレのロックで、世界中の人間を変えるんだ」
「それでお前は毎日ケンカをして、暴力で人を納得させようというのか」

 予定が狂わされ息を飲んだ。
 そう、オレは家とは正反対、学校では札付きのワルだ……チキショウ。

「最近はしてないよ……それに悪くない奴を殴った事はないさ」
「タバコはやめたか」「あ……まだ」
 父はため息一つ大きくはいた。

「止めるよ、約束する。ロックをやることを許してくれれば いつでもやめるさ」
「まあ私もお前に言える事ではないがな。 1日10本までという母さんとの約束もろくに守れていない」

 説教するときでも時折ジョークを見せる父のクセが俺は好きだった。 今までも何度そうやって俺を正してくれただろう。 だが今回はいつもと違う。話はすぐに、核心に引き戻される。

「ロックで何ができる。お前は本当に自分が売れると思っているのか」
「売れてみせるさ……それに……」 「それになんだ」

 俺は大きく息を吸い込みながら、父と目を合わせて言った。

「ロックは政治だよ」

 父は目を閉じて首を縦に振って、オレの言葉を聞いてくれた。 しかし、その鋭い目が開いた時、オレの心を抉るような切り返しが必ず来る。

「しかしロックで、目の前の飢え死にしそうな人を救うことはできない。 ロックで救える人は、音楽を聴くことができる環境の人間だけだ」

 オレは返す言葉を見つけられなかったが、塞き止めていたエナジー が決壊したダムの水になって飛び出した。

「ロックが好きなんだ。人生が二度あれば政治家になるのもいいさ。 だけど、人生は一回しかないんだ。 ロックで人類を救うなんて、偉そうに言ったけど、 ロックがやりたい。ただそれだけさ。 同じ命をかけるなら、ロックに命をかけたいんだ」

「フランク・プラントが撃たれた。あまりにも過激な歌を歌ったがために。 今はそういう時代だ。政治批判をするアーティストは撃たれる。この十年で何人のロックアーティストが撃たれた」
「ロックの神髄は反抗なんだ、そして平和さ。 だからオレはロックを選んだ……好きなんだ。 ただロックが好きなんだ! ロックで死ねたら、本望さ」

 父の顔が、身体が震えた。オレも手足が痙攣しているようにプルブル震えて自分で止めることもできない。
「そうだ、それでいい。それがお前の本心だ。 お前は、苦しむ人々を救うことを考えられず、 ただ自分の夢にうつつを抜かしている道楽息子だ」

「バカでもいいさ! オレはロックをやる!」
「だめだ。お前の仕事は政治家だ。 私は次の選挙でレナード大統領になる。 お前も、私と同じ道を歩くんだ…… 崩壊したアメリカを復活させたいんだ…… 古き良き時代のアメリカを。分かるか、キアヌ!」

「分かったよ、オレは旅行が終わってから家を出る。自分で働いて、 もっともっとライブもやって、絶対にロックスターになるさ」
「おまえ……」
「アメリカ復活なんて、オレにはどうでもいいんだ!  国へ帰ってから母さんには事情を話すよ。 オレは、父さんのコピーじゃない」

 頭の中は空っぽだった。ただとても自由な気持ちになれた。それまで父という越えられない壁をじっと見上げていたがこの時、 越えるべき目標に変わった。オレはまだ何も知らないガキ。人間としての基礎を築くため、1人前に親に楯突くのなら、その代償としてこれから働けばいい。 不安なんて、ぶつかって壊していくしかない。

 この時が、オレの中での大人への脱皮の始まりだった。






 キャサリンの車に乗って海岸を走る。

 海の青に街のネオンが反射して、ちりばめた光のかけらまでもが テカテカのエレキギターに見えてしまう。
「君の言葉を使っちまったよ。 父さんのコピーじゃないって」
「お父様、本当は分かっているんじゃないかしら。あなたのことを。だからキアヌの気持ちを試しているんじゃないかしら」
「まさか!」
 オレは傷口に触れられた獣みたいに語気が荒くなった。
「アメリカ復活なんて、オレにはどうでもいい……最低だな、 政治家の息子がこんなことを言うなんてさ。 レナードは強い獅子って意味だよな、国名には相応しくない。 それが今こんな現状を招いている」
「でもあなたはそれをロックで非難している……ロックの精神は 反抗でしょう? あなた本当はお父さんに似ているのよ」
 もつれた糸を解いた彼女の言葉に、オレはまた愛しさが溢れた。何と言葉を返せばいいのか分からなくなったオレは話題を変えた。

「まさか夏休みの間に免許を取っていたなんて驚いたよ」
「この車、母さんのよ。彼氏を見つけたら乗せてもいいって」
「え、俺の事……」
「あたしじゃ……いや?」
 唐突な質問に、思考回路がショートを起こした。 実は生まれて17年間、彼女というものがいなかった。 今まで告白した3回はいずれも玉砕、キャサリンにいつも 「あなたの良さがわかる女もいるって」と言われ続けていた。まさかそれが、少年時代からずっと今まで一緒に駆け抜けてきた 彼女だったなんて。
「最高だよ、おまえ……いや、いいのか? オレなんかでさ」

「じゃあOKってこと?」
「もちろんさ、オレも本当はずっと好きだった」

 キャサリンは大きなため息をついて背中を座席にドサリと預けた。
「よかった。とてもドキドキしたわ」
「オレもドキドキさ、うれしいよ。 これから君と……へへ、なんたって彼女いない歴生まれた年数だからさ、 ロックバカな……鈍感なオレだけど、よろしくな」
「うん」
「何てイカした1日だろう、君みたいな美人と付き合えるなんてさ」
「いきなり君なんて言わないでよ、へんなキアヌ」
「へへ、似合わないか」
「あなた、自分では気付いていないかもしれないけど、 とってもハンサムよ。あなたを好きな子、沢山居るのよ。 本当に、ロック以外のことは鈍感なんだから。銃の腕ぐらい 女の子も早撃ちならいいのにって男の子達も言ってたり……」
「射撃の訓練を受けたのは父が共和党議員で、 ときに命も狙われかねない。だから家族はみんな銃を使える。 オレの腕は教習所でも抜き出ていた。 それだけさ、あんなものを巧くなりたくなかったよ」
「そうね……ごめん」
 ごめんといわれて、自分の口調に、棘があった事に気がつく。
「いいや……へっ、親父に言わせりゃ俺のギターなんて 銃の腕の半分もないってさ」


 海岸沿いの路側帯に車が止められた。
 カーラジオでもビルボード一位のオルタネイティブロックが国境を越えて流れている。 レナードで人気実力ナンバーワンのバンド『サウンドスレイブ』の『キス・オブ・ナイトブルー』だ。クリスのヴォーカルはオレを行動に駆り立てた。
 今更恥ずかしいという気持ちと、抑えきれないエナジーが俺の腕をぎこちなく動かした。キャサリンは肩をすくめたまま、瞳を閉じて俺の方を向いた。

 行くしかない、行け!

 この唇をオレの炎で燃やし、底無しの夜に落ちて行くのもいい。
 とその時、音楽が止まってニュース速報の音は鳴った。
「モルジブのリゾートホテルで、大規模な爆弾テロがありました。 ホテルエクセレントは全壊し、今もレスキュー隊が負傷者の 救出に全力を挙げています。なお……」

 ホテルエクセレント……。

「父さん……母さん!」

 ホテルに戻ってくれと大声で彼女に叫んだ。夕陽に染まる赤い父の顔が、何度も目の前のアスファルトに浮かんでは消えた。あのホテルから少しでも遠いところに来たくて、ここまでドライブしたのに、今はその4時間という時間が呪わしい。
「早く、早く!」
 彼女の運転技術を思いやるゆとりなどなかった。
「急ぐんだ、早くしてくれ!  父さんが苦しんでいる。母さんも苦しんでいる!」
「待って! どんなに急いでも2時間はかかるわ!」
「そんなに待っていられない! 瓦礫の下に埋まっていたらどうするんだ!」
「遠くに行きたいって言ったのはあなたよ! 私が事故を起こしても いいの! お父さんもお母さんも、助けられなくなるわ!」
「代われ! オレがやる!」





 朝陽に焼けた瓦礫の山、それがホテルだと回りの景色が教えた。
「父さん、母さん!」
 瓦礫の山を下りてくるレスキュー隊。オレンジの服を着た四人一組の彼らの手によって、 二人が担架に乗せられ瓦礫と山を下りてくる。 顔に布がかぶせられた女性は、青いドレスの裾で母と分かった。 その隣、顔には何もかぶっていない方は父だ。身体にかぶせられた その布には、血が浸透して真っ赤に染まっている。

「父さん!」
「キアヌ……」
 レスキュー隊の足が止まった。 父は笑顔を作った。 血だらけの顔と潰れた身体が細々と切れそうな生命線をつないでいる。
「ロックをやるんだ。三人、あと三人集めるんだ」
「父さん、死なないでくれよ……オレが跡を継ぐからさ……」
 父は動かぬ顔を激しく振り動かしながら言った。

「オーディオキラーで……オーディオキラーで……戦え、 オーディオキラーで世界を救うんだ……」

 今まで悪かった。そんな心の声がオレの目を涙でふさいだ。 あふれ出して止まらない。  そして、精気がみなぎった父の目が、静かに閉じた。 静かに、眠るように。
 閉じないでくれ……頼む、死なないでくれ……。
「父さん、父さん!」
「君が息子さんだね。お母さんがノートを握り締めているんだが、 これが何だか分かるかね。ひょっとしたら遺書かもしれない」
 俺は恐る恐る、母の身体にかぶせられた布をはいだ。 どこにも傷がないのに、もう動かないのか、ダメなのか……。
「母さんは、ダメなのか……! こんなに綺麗な身体してるじゃないか!」
「首の骨が折れている。発見したときには死んでいた……」

 オレは母の前にしゃがみ込んでその身体をなぞった。冷たい。 母が両手に抱き締めていたもの……震えていう事を聞かない手で、 母の指を解き、砂まみれのノートを取った。 砂埃を払ってそれが何か分かった。
 この旅行の間に空港、飛行機の中、そしてホテルでオレが 書きためた楽譜だ。
「……母さん!」  その後のことは何も覚えていない。 ただ、大声で、泣きわめいたことしか。 自分でも今までに聞いたことないような、 獣のような声がオレを悲しみのどん底へ突き落とした。



 *             *



 ギターを砂浜に置いた。 モルジブの海、その鮮やかな色は悪魔の色に変わった。
 父にもらった拳銃を抜き、弾を込めると六発全てを海に撃ち放った。喜びの色が、悲しみの色に変わった瞬間、 オレは、この夏を一生忘れない。


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